11月 4日(金) 雨 気温23度 湿度90%
本日は深夜午前2時、何となく目を覚ます、昨日の朝からお天気も崩れ、本日も回復しない、
勿論サボンの啼く声は聞けず、雨音が聞こえるだけ、少し軽い頭が重くなって来た、ちょっくら
眠って起きたくなったら、また起きよう、時間に追われる事もなく、身体の赴くままに、
昨日はブログ再会、最初の日記が万聖節の、墓地銀座の様子でしたが、本日はデジブックにて、
その様子を御覧ください。此の日はなるべく早めに、自宅を出発致します。車の駐車スペースを
確保するためなんです。なるべく入口の近くに、止めますが大分距離が有りますね、みんなが同じ
気持ちなんですね、ゲートを潜ると、あらゆる出店が建ち並んでいます。花屋さん、蝋燭売りは、
お墓との関連商品ですが、アイスクリームや、食料関係は分かるのですが、やどかりや、雛売り売り
スリッパ売りや、フィリピン風やきとり屋、お祭りだと理解頂ければ、宜しいようですね、【笑】
お墓に着き、義父のお墓にお花を上げ、蝋燭に火を灯し捧げます。そして此れからが、
親戚のお墓参りです。まず祖父の墓前に、祖父は30数年前、93歳で亡くなりましたが、
生前補聴器を、プレゼントした事が有りましたら、魔法を授かったようだと、驚きながら
喜んで呉れましたっけ、そしてその隣に有る、亡き義父の妹で有る、叔母の家の墓所に所に、
此処には婦人警官だった、妻の従姉妹が眠っているのですが、4年前50歳の若さで、
癌の為無くなりましたが、コバルト治療と、抗がん剤の為、髪の毛も抜け、可哀想でしたね、
妻がワカメの味噌汁が、髪の毛を増やす為に、良いと話すと、味噌汁をせがまれました。
韓国スーパーで購入し、何回も作ってあげました。 希望を持って美味しいと、
飲んで呉れましたね、
フィリピン国では、お客さんを歓待する事を、自分の喜びとして呉れるのですが、
万聖節の此の日も同じなんですね、此の日はご飯と、蟹の入った、ココナツミルク煮の
ギナタアンでした。 美味しいのですが、甲羅の中に身が張り付き、大きなスプーンでは、
取り出せないのです。仕方なく指で挟んで口に入れますが、さっきトイレに行き、
手洗いがなかったので、手を洗わなかったのです。口に入れたととたん、
思い出したのです。まぁ~いいか、自分のオシッコだし、何回か指もしゃぶっている内に、
綺麗になる事でしょう。誰でも経験ある事なんですね、【笑】
もう一度蝋燭を取りに、義父のお墓に戻りますと、家の軒下にお墓を作った人達が、
墓参りに来ているのです。今迄大家族と顔を合わせるのが、嫌なのか遠慮していたのに、
開き直ったのですね、大家族は毎週お墓には掃除に来ていたのですが、或日来て見ると、
見知らね柩が収めて有ったのです。柩を移動する事も出来ずにいたら、頑丈なお墓が
此の国に多いスクワッタの構図を、見ているようでした。簡易的なクボを作り、様子を見ながら、
より大きな頑固な、建造物を作る構図に、正に生き馬の目を抜く、国だったのです。【笑】
デジブック 『フィリピンの万聖節』
デジブック 『墓地はお祭り広場』
ダニエル・デジブック一覧表
それでも団塊世代の在比邦人も後数十数年すれば比国の土となり子や孫の世代に眠る墓の上でお祭騒ぎをして貰えるのでしょうね(微笑
私は散骨を願っていますがそれより先に看取ってくれる相棒を探さなくては・・・(汗
ハロインのスタイルもキリスト教の分派によって違うのですか?
日本の仏教は宗派は違っても彼岸と盆の行事は同じようですが・・・
あっ、新興宗教は存じ上げません。
ダニエルさんのブログはyuさん又はきらさんがお早い方達なのですが・・・
今日は・・・・ダニエルさん一番で参"りました
よ!!
それにしても・・・・・ダニエルさんの奥様の先祖を奉るお墓は見事ですね。
矢張り貧乏な地方都市の我が地と格段の開きが有ります。
それと・・・・お墓まで移動式のチョウキンとジョリビー・・・・・我が住まいのTABACO市はチョウキンが店を出して居たのですが直ぐに撤退致しました。
勿論、チョウキンの価格では食べる人達は居ない貧乏な田舎町です。
ダニエルさんは既に永眠の宿泊施設は確保しているのでしょうか!!(爆)
我が地では墓地に空きが無いので困っています。
目の前が海なので太平洋に・・・・と思っています。
それにしても・・・・住むところでこんなに違うととは矢張りフィリピン不況和国ですね。(泣)
>ミンダナオは別として邦人の方々が寿命で比国で埋葬されるのはまだ少ない気がします。
ミンダナオは邦人が古くから事業を起こすと共にダバオを中心に日本人街が有、子孫も多いでしょうね、此れから団塊の世代に、深刻な問題なのでしょうが、私は此の地に移住した時から、全てを大家族に託して居りますので、後の事は心配致して居りません。他の人は他の人で考え方が皆違いますので、
>それより先に看取ってくれる相棒を探さなくては・・・(汗
早く探して下さいね、将来看取って呉れる人を、
>ハロインのスタイルもキリスト教の分派によって違うのですか?
フィリピンは一番古い旧教なのです。戒律が厳しく離婚も認められて居りません。この戒律の厳しさを嫌ってプロセスタントが生まれましたが、旧教で云う貢献の有った、諸聖人に対する考え方がプロセスタントでは、万聖節を諸聖人の祝日とは考えず、全ての死者はこの世にに蘇る日と考えるようです。蘇る前夜祭がハロゥインです。また新興キリスト教でも解釈が違うかも知れません。
>矢張り貧乏な地方都市の我が地と格段の開きが有ります。
私は此の国で一番早くから知ったタガイタイしか知りませんので、地方格差が有ることも、薄っぺらにしか知らなかったのですが、ネットを通じて、徐々に理解し始めました。此の国は一言では表せないですね、此の国を表面から知り、物乞いが溢れ貧乏な国見る方がいますが、それも事実ですが、全てではありません、食べ物も着るものもなく、道路に寝転んでいる人を見て判断する人が居りますが、その事も事実ですが、全てでは有りません、泥棒が多く存在するのも事実ですが、全ての人では有りません。
困窮した邦人が生活の面倒を見て貰ったり、
乞食同然で亡くなり、葬儀もしていただいた邦人の話も何人も聞いて居ります。
私はフィリピン人人の情の深さは日本人以上だと思って居りますが、人それぞれですね、
知れば知る程、奥が深く感じます。
今度タガイタイにお出で下さいね、
私もマヨンを眺めに参りますよ、見聞を深める為に【笑】
日本では火葬が主流になっており、家族が一つの墓に収まる事が多いですが、フィリピンでは「遺骨を一ヶ所に」なんて考えられない事なんでしょうね。
まぁ、生きていても「立って半畳寝て一畳」なんですから、あの世に逝ったら「家族で半畳」でもいいかぁ、ハハハ。
しかし、「お隣さん」はやるもんですねぇ!
これこそ日本では有り得ない事ですね。蟻や蜂が巣を作ったのとは違いますから、フィリピンといえど、これは問題になりそうに思うのですが・・・。
昨夜は2時に目覚めてしまい、PCで懐メロを聴いていました。
聴く曲が、全部女々しいものばかり!ボクは女々しい男なんですね。
フィリピンの男は「うしろ姿」や「女の意地」は唄わないんでしょうね、ハハハ。
yuさん・お早う御座います。
>日本では火葬が主流になっており、家族が一つの墓に収まる事が多いですが
日本での父親を土葬にした事を思い出しました。yuさんにご一緒していただいた、あの橋のたもとで、ではなく、あの墓のたもとに埋葬したのです。利根川に近くて、少し掘るよ、水が出て可哀想でした、棺桶が水に浮いてしまうのです。年数が過ぎてから、火葬になったのですが、寝棺と、立棺が有ったのですよ、立ち棺は、時代劇の桶に入れる形と同じでした。ご存知ないでしょうね、【笑】
今は火葬ですね、フィリピンでは古くなった柩からお骨を拾い出し、別の容器に詰め替える方法も取られて居ります。此れから火葬に移る過渡期何でしょうね、タガイタイでも火葬場を建設しているのです。新しい墓地分譲は火葬が条件なんですよ、
>お隣さん」はやるもんですねぇ
公共の道路脇や、河川に違法建築をするスコワッタの墓地版ですね、この墓地は毎年市に面積に応じた管理料を払うのですが、このお墓の分は我家で払っているのでしょうね【笑】
此の国では、他人の権利への侵害は、日常茶飯事、的に行われます。図々しい面々です。【笑】
今日から通常の生活が始まり現実に引き戻されてます。
今回は比国を色んな意味において勉強させられました。全てを知っても満たされた日本で暮らす私には理解できず苦しみますが任せるだけです。
比国の墓地の管理料は馬鹿になりませんよね。
私も見て驚きましたが日本以上ではないでしょうか?これも見栄を利用する商売かもしれませんね。
比国のお金には翼があり直に飛んで逃げてしまいます。
私の手元に残るのは重い硬貨でけでした。(爆)
kiyoさん・今日は、
私も移住前に観光的な短期間での上辺だけの印象と、移住後腰を落ち着けて、実感したのでは、全く違いました。最初は日本と比べ悪い所ばかり目が行きましたが、今は日本の目線で考えずに、フィリピン人の目線で考えたら、日本と違い良いところも発見出来ました。究極は大家族で自分の置かれた立場ち、慣れ親しんだ核家族の自分の立場の違いだったのです。
今はフィリピン生活を満喫しております。
>比国のお金には翼があり直に飛んで逃げてしまいます。
以前は1ペソの重みが理解出来ませんでしたが、今は勿体なく思えて来るから不思議です。
全てケチるのではなく、必要な時には有効的に使います。
此れからお寒くなるでしょうから、お体ご自愛くださいませ、猛獣母娘にも宜しくお伝え下さいませ、
今ボ~として考えていたら、間違いに気づいた。立ち棺では無く座棺でした。何か変な事と感違いしました。【笑】お許しあれ、
>フィリピンといえど、これは問題になりそうに思うのですが・・・。
義母達の生き方を見ているとわかるのですが、日本人のようにトコトン追求せずに、有る程度の所で止めてしまうのです。ほかの場面でも見ています。恨みを買わないように生きているのですね、その先まで追求しての反撃の復讐を恐れているよいうですね、
「桶屋の鬼吉」が背負ってましたね。
でも座棺で葬られた人は知りません。
身内では土葬の記憶もありません。子供の頃、お墓が陥没したのは知っていますが、家のお墓は陥没しませんでした。
私が子供の頃は、隣組の男性達が墓穴を掘って、亡くなった人を埋葬してました。
高度経済成長と共に、隣人関係も薄くなってきましたよね。
けっこう自己主張するフィリピン人が多いと思いますが、義母さんはオトシドコロを心得ておられるんですね。難しいことだと思います。