本日ののほほん生活記
2022.07.29. (金) マニラの日の出 午前5時39分 曇り 気温 24.3 ℃ 湿度 75.5 % 南西 0.9m 至軽風①
私は東京で、暮らして居りましたが、人生の晩年を、妻の生まれ故郷、フィリピンン共和国、タガイタイ市で、妻を取り巻く、大家族と、
共の生活ですね、移住前から、核家族化の、生活にどっぷりと、浸かった、私が生活形態の、違う大家族制の中で、生きて行けるかが、
一番の問題でしたね、其の事を、見聞するために、1ヶ月の、試用期間を、設けたのです。過去の渡比と云っても、短くて、1週間、長くても、
1ヶ月の滞在では、殆どが、観光的気分だった、からですね、何も分からなかったのです。全てが1ヶ月の、試用期間では、分かる筈も、
御座いませんが、後はその時その時の、起きた問題の時に、対処するしか、御座いませんね、日本の常識は、此処では非常識、フィリピンの、
常識は、日本では、非常識なのです。日本での常識では、考えられない、漫画の世界も御座いますね、亡義母は、トイレに入っても、
トイレのドア-を、締め内のです。親の生き方に、追従する、妻も同じでしたが、使用中に、ドア-を締めたら、お化けが出た時に、
逃げられないからと、妻のゴミの、ポイ捨ても、日本時代は、無かったのに、戻って来たら、復活ですね、集会等で、大量に、ご飯を炊く場合は、
大鍋には、圧力の掛からない、バナナの茎等で、蓋をするだけですね、私は幼児の頃から、釜の蓋は、重みの在る、分厚い蓋が、常識でした。
『最初チョロチョロ中パッパ、赤子泣いても、蓋取るな』が、常識の国ですから、フィリピンでは、生きる為に、食べるのですが、日本では、生きる為の、
食事ですが、其の上に美味しく食べるが、着いて廻るのです。本日は親戚での、挽いた米で、団子を創り、其の団子を、ココナツミルクで煮る、
ビロビロの、ギナタアン創りです。法事の時や、大勢集まる時の、定番料理(フィリピンン風お汁粉)ですね、私は辛党ですから、食べませんが、
本日の起床は、午前5時でした。目覚まし時計の、ベルの鳴る音に、目を覚ましました。我が家の、九官鳥は、元気ですね、
過ぎし日の事でしたが、近所に、シャブで、問題を起こす、男がいるのですが、何時も馬鹿にされると、怒っていたそうでえす。
知り合いが、九官鳥だよと、教えると、笑っていたと、云うのですが、間違える程、おしゃべりが、達者なのです。笑い方も、
巧いのです。『タオポ』御免下さいの、言葉に、行ってみたら、誰もいなかったり、間違いますね、m(__)m
フォトチャンネル マニラ新聞
2022.07.29. (金) マニラの日の出 午前5時39分 曇り 気温 24.3 ℃ 湿度 75.5 % 南西 0.9m 至軽風①
私は東京で、暮らして居りましたが、人生の晩年を、妻の生まれ故郷、フィリピンン共和国、タガイタイ市で、妻を取り巻く、大家族と、
共の生活ですね、移住前から、核家族化の、生活にどっぷりと、浸かった、私が生活形態の、違う大家族制の中で、生きて行けるかが、
一番の問題でしたね、其の事を、見聞するために、1ヶ月の、試用期間を、設けたのです。過去の渡比と云っても、短くて、1週間、長くても、
1ヶ月の滞在では、殆どが、観光的気分だった、からですね、何も分からなかったのです。全てが1ヶ月の、試用期間では、分かる筈も、
御座いませんが、後はその時その時の、起きた問題の時に、対処するしか、御座いませんね、日本の常識は、此処では非常識、フィリピンの、
常識は、日本では、非常識なのです。日本での常識では、考えられない、漫画の世界も御座いますね、亡義母は、トイレに入っても、
トイレのドア-を、締め内のです。親の生き方に、追従する、妻も同じでしたが、使用中に、ドア-を締めたら、お化けが出た時に、
逃げられないからと、妻のゴミの、ポイ捨ても、日本時代は、無かったのに、戻って来たら、復活ですね、集会等で、大量に、ご飯を炊く場合は、
大鍋には、圧力の掛からない、バナナの茎等で、蓋をするだけですね、私は幼児の頃から、釜の蓋は、重みの在る、分厚い蓋が、常識でした。
『最初チョロチョロ中パッパ、赤子泣いても、蓋取るな』が、常識の国ですから、フィリピンでは、生きる為に、食べるのですが、日本では、生きる為の、
食事ですが、其の上に美味しく食べるが、着いて廻るのです。本日は親戚での、挽いた米で、団子を創り、其の団子を、ココナツミルクで煮る、
ビロビロの、ギナタアン創りです。法事の時や、大勢集まる時の、定番料理(フィリピンン風お汁粉)ですね、私は辛党ですから、食べませんが、
本日の起床は、午前5時でした。目覚まし時計の、ベルの鳴る音に、目を覚ましました。我が家の、九官鳥は、元気ですね、
過ぎし日の事でしたが、近所に、シャブで、問題を起こす、男がいるのですが、何時も馬鹿にされると、怒っていたそうでえす。
知り合いが、九官鳥だよと、教えると、笑っていたと、云うのですが、間違える程、おしゃべりが、達者なのです。笑い方も、
巧いのです。『タオポ』御免下さいの、言葉に、行ってみたら、誰もいなかったり、間違いますね、m(__)m
フォトチャンネル マニラ新聞
私は40歳前後から、年2,3回のペースで東アジア・東南アジアをあちこちしていました
なので外国に対する垣根も低く、フィリピンへも何度か来ていたので大丈夫と思っていました
移住なので、最初のころはしょっちゅうマニラへ行ったりして忙しく過ごしていました
気が付いたら3ヵ月ほどたっていて、夜空を見上げながらコーヒーをすすっていると
なんで俺はここにいるんだろう?
と言う気持ちがこみ上げてきました
あ~、これがホームシックと言うやつだな!
いまでは何ともありませんが、あのころの気持ちを懐かしく思い出しました
私は1990年から3年間プチ移住をして居たのですが、確かにことごとく違和感を持ちましたね。
ご飯炊き方に始まって、魚をぶつ切りして料理するなど色々此れは無いだろうというが沢山ありました。
でもじっくり話す機会があって、少しづつ変わって行きました。
まず変わったのは愛国心がフツフツと湧き始めましたね。
其れ迄は何も考えなかったのですが、外から見ると日本って本当に良い国と思い知らされた事ですね。
そして義弟達とも良く話を聞くようになりました。
成る程そんな考えもあるのだ思うようになりました。
ジープニーを二台(笑持って居たのですが、私の一存でドライバーを家に泊めた事があるのですが、
朝目を覚ますとカメラ、パソコン、金のライター、妻の結婚指輪、金のブレスレット等ゴッソリ持っていかれてしまいました。
その時も妻のいう事を聞いて彼を泊めなければと散々言われました。
その後はフィリピンではフイリピンのいう事を聞くようになりました。(笑)笑
何時もダニエルさんが仰っている、」郷に入れば、郷に従う」をしみじみ身に染みましたね。
私は今から思えば、フィリピンよ、云う拠りは、
妻の両親や、廻りの対し、違和感を覚えたのです。
日本で暮らして居る時も、
廻りに、ジャパ雪のような、女性を見掛けると、
虫唾が走ってきましたね、其れから私の認識では、
逆にフィリピンが一番嫌いな国に、
成っていましたね、坊主憎けりゃ、袈裟迄難いって、心境だったのかも、現在は自分で選んだ道ですから、人生の終焉迄、
そう思い返したら、徐々に、(._.)
此の国と長く関わると、色んな思いが、
込上がらますね、日本の常識は、
此処フィリピンでは、非常識。借りた物を、
壊しても、壊れた侭返却すれば、返したと、
認識する、人、お金を借りでも、返す心が在れば、良いのですが、催促すると、
逆切れする、人も多いのです。此のタイプは、
日本人の方が、多いですね、人間って、同じじゃんけ、哀しいですね、(._.)