団塊の星屑

星の屑ほどある団塊世代の一人、共に流れて来たた星達、輝を失い始め消える頃だが、完全消滅するまで発信し続けて居たい 。

2018-11-28 16:10:41 | 日記

年の瀬が近づくとイヤでも歳を重ねる事に想いが馳せる。

私の余命はどれくらいかと気になってネット情報を見て見た。

私が生まれた頃の寿命なら既に亡くなり、今頃苔生した墓石の下にいただろう。

http://www.garbagenews.net/archives/1940398.html

平均的データーが何の役に立つのか?参考値以外に意味は無い。

が、しかし天は私にそんなに多くの余生を与えてない事だけは解る。

お金も同様に残してあの世へ行っても使えない、旅立つ時に三途の渡し賃さえあれば良いのだが、

僅かな手許金すら上手く使いきれないで旅立つだろう。

明日、必要が無くなる金であれば、今まで経験のした事のない使途に費やしたい。

そんなに上手に事が運ばないのが人生。

また、来年が来る。


眠れぬ老人の妄想

2018-04-10 03:17:18 | 日記

今、四月十日日付が変わって未明まで暫らく時間を残す深夜である。

昨晩は早目の晩酌の後、眠りについて少し前に目が覚めチョー早い朝風呂に浸かった。

昨晩家族が入った後の残り湯である。

残り湯に浸りながら思ったのは中学校の同窓会の事であった。

発起人の一人でもあり企画遂行係でも引き受けている。何人かの協力者と共に、対処し「やるべきことはやった」と今、思いで居る。

まさに、煽てられて木に登った犬の如し、ではあるが、皆のお役に立てたのであればそれで良い。

そして我が妄想は尽きる事無く飛躍して、何人もの仲間と彼らに纏わるエピソードか゜よみがえった。

昨日、中国人の友人とメールを交わした中で、昔の事を書いたら、中国語の返事は「戻って来ない時間の話し」だと書いてあったと思う。

まさにその通りで「古稀会の仲間」も同じで、若い思い出を背負った今の老人らと、青春の淡い記憶を自纏ったまま老いた自分が会うのであり、それが半世紀以上の時間を経た私達の同窓会姿でもある。

同窓会の形で、皆と会うのも最期だろうから思い切り楽しみたいと思って居るのだが、歳と共にアルコール耐性は衰え酒量も減った。

若い頃から酒が強い部類で、営業職を務める者には大いに役立ったが、今は酒の力を借りた社交が出来なくなっている。

酒を嗜み、仲間と心地良い会談をしたいと思うのだが、飲酒調整弁の調整モードで弱を選んだはずだが、いつの間にか強にリセットされる。

若い者と語り合える老人の話術を会得したい望みがあって挑戦もするが、酒量コントローラーの破損で、紳士的パーティー術のレベルは低い。

これらの背景の一つにジェネレーションギャップがある事は間違いなさそうだ。

最近見るインターネット上の文章を解読するのに時間が要る。

言葉の事を言えば昭和の日本語と、意味を想像出来そうな言葉と、想像すら出来ないも言葉の羅列に感じる。

私が教わった日本語と接した文書には無かった、チョーネット語との落差を感じるアラ古稀です。


足腰が痛い

2017-09-23 00:53:22 | 日記

足腰が痛い、一年程前に長時間のデスクワークの後、足に痛みを覚える事が常態化していたが何時の間にか、そんな症状は失せた。

今また足が痛い、今度の痛みには身に覚えがある。昨日、アジング?をした事が原因だろう。

アジングとは疑似餌で鯵を釣るルアーフィッシングの一種だが、我がアジングは方法が異なる。

今、海辺の岸壁で小鯵の群れを見る事が出来る。これを手網で掬い取るだけの事だ。

細かな目の手網で掬おうとすれば、水の抵抗で鯵の動きに追い付けず逃げられてしまうので、網目が2センチ程度の釣魚の取り込み用の手網を使った、ナイロンのテグスで編まれたもので、水中で目立ち難く抵抗も少ない。

先ずは小鯵が群れていた居た場所に手網を沈めその辺りにオキアミを撒餌すれば、数秒後には魚が集まって来る。時には網の中まで入り込んで群れるのを一気に掬うのだが、網の中に魚は居ない。

全ての魚は網目からコボレ落ちるのである。それを避ける為の方法は掬い上げるスピードを限界まで早め網目から抜け落ちる前に防波堤の地面に落とす事しかなかった。そうすれば一、二割を網目に載せる事が出来た。

防波堤の上まで来た手編の目から小鯵がパラパラとコンクリートの地面に落ち、地面で上で身をくねらせ飛び跳ねる小鯵を拾ってはクーラーボックスに納める。

地面で飛び跳ねる小魚を拾うのも簡単ではない。十分に腰を落として素手で拾い掴みが甘いとツルリと手から逃げ落ち何度も拾い直すことを繰り返したのは、強く掴み握る事も出来なかったからであり、一度に数匹がコンクリートの上に落ちた場合は、海辺近くのものから拾わなければ海に逃げられた。

手網の軌道に添ってコンクリートの上に散らばった小魚を、拾いながらの中腰での横移動と屈伸を繰り返したのであった。獲物の数から推測すれば少なくとも百回以上のしゃがみ込と腰を落とした姿勢での横移動をしたことになる。それはスクワットにも似た動きで「毎日数回のしゃがみ込みと立ち上がりの繰り返しが健康維持に役立つ」と聞いた事があって、意識してしゃがみ込みは思い切り深く腰を落とすことにしていた。

久々の筋肉痛ではあるが、何故かすがすがしく不快ではない。運動不足のの者が百回以上のスクワットをすけば、身が入り痛みを発して不思議ではないだろう。と、そんな事で今日は、立ち上がるのも階段の昇降もヨイショと行った


暑気が去り釣りでもするか `17

2017-09-22 10:42:10 | 日記

夏休みも終わり静けさを取り戻した若狭湾に出掛けたの二週間ほど前、湾内に点在する漁港では小鯵が湧く様に群れていた。

昨日、それを採りに出かけて見た。5㎝程の小鯵を掬おうとしたが、手網の目から殆どが抜け落ちる、網の目から落ちる前に岸まで運べれば捕獲で来た。

オキアミのブロック一つを買い求め、それを撒餌に一気に掬い取るのだが、獲物が小さ過ぎてタモに入った内の1-2割が岸壁のコンクリートの上に落ちただろう。それを拾い集めて獲物とした。

撒餌が尽きるまで、昼前まで遊んだ、誰かに見られたくない姿である。帰宅後から揚げにしてビールのアテとしたが、3-4百はあったと思う。その殆どは甘酢の中で南蛮漬けになった。

暫らくは豆アジを頂き続けるしかない。

 

 

 


新今徒然草

2017-08-20 12:56:26 | 日記

新今徒然草

古稀を迎える年頃の者等が女子会をするとか、思わず「古女子会」という言葉が浮かんでしまった。

暇に任せて、韓国の歴史などを見ていた事もあったのだろうか、咄嗟に浮かんだ言葉が古朝鮮、古繋がりで探せば古伊万里、古刀、古都が思いつくが、検索してみても興味をそそる言葉は無かった。

悪意無く思い付いて「古女子会」と表現してみたが、嫌な意味が込められていて誰かを不愉快にさせるとしたら良くないとの思いからであった。

そんな中で「古稀迎える女性へのお祝いの品」に関する記事があって、その筆頭が酒であった事は、送って喜ばれ、受け取って嬉しかった、からだっろうと思える、興味深い話でもあった。

個人的見解ではあるが、私の身近な事を言えば以前は大酒を飲んだ男共が口を揃えて言うのに「酒量が落ちた、弱くなった」である。

背景には加齢に伴った肉体的生理の変化はあるだろうし、アルコールへの耐性が変化があっても不思議ではない、他方、酒に費やすることが出来るお小遣いの減少もあるだろう。

これ等の現実は大多数の意見とも相違ないだろが、ただ、面白いのは耐性が強化され続けるる者と、衰える者が居て、雌雄でその傾向が異なる事である。

古来アルコールの持つ生体に対する特性(生理作用、毒性、常習性等)が唱えられており、飲酒年齢までが設けられている。

煙草と並ぶ有害嗜好品だが、それへの抵抗力が、衰え続ける男と、益々強くなる女の対比が面白い。この違いの傾向は、アルコールに限った話ではなさそうだ。


2017 訪中記1-2

2017-07-17 12:40:46 | 日記

看板の文字は私にはよく分からないが炭焼き蒙古羊 と、そんな意味だろう

写真はアバラ肉、半頭分を炭火の上で、じっくり焼いて焼けた部分を削ぎ落して頂く、

同地は中国東北部、山東省・モンゴルの影響を少なからず受けた地域、満州南部だった様な場所

店舗の写真には店内の様子が窺えるが、あえて店の外での食事を希望した

大陸ならではの豪快な食事と青島牌酒に舌鼓を打った瞬間であった

 

 

 


一年ぶりの中国

2017-07-15 18:53:11 | 日記

一年ぶりの中国

始めて中国を訪問したのは2011年だっただろうか。
その頃は、既に近代化が始まって居て今と大きな違いは感じなかった。訪れたのは中国最大の都市で他の都市や郡部に比べれば雲泥の差で発展を遂げている地域であろう事は間違いないだろう。
そんな商工業の発展した都市であるだけに、本当の全体像を窺い知る事は出来なかった。
同地は広大な国の東北部に有って昔、満州と言った地域に位置する。
写真は某レストランの個室に描かれて居た壁画で、壁に直にペインティングされて居て、紙に描かれた物なら買って帰りたいと思った。
特に左下に描かれた肥満の兄チャンが、この国が庇護する何処かの国の将軍様と重なって見えた。

写真一枚目 投泊したホテル  写真二枚目 管理の行き届いた公園内の公衆トイレ、一般企業等の普通に有るトイレとは比較にならない綺麗さい

写真三枚目 蒙古・・・とか言う看板を掲げた食堂、羊のアバラ付き肉1/2匹分を焼きながら焼けた肉を削ぎ取り頂いた

写真三枚目 食堂の壁画、壁を描く(才能ある食えない画家)職人が普通に居るのだろうか。


世の中変わった2016大晦日

2016-12-31 09:09:54 | 日記

2016年の大晦日にこの一年を振り返る。

私自身の事を振り返れば、良い年であったとは思えない。その要因の一つはすでに老境に至り、一般社会(現役社会)からの距離が出来た事に起因しているのだろうと感じている。要するに活躍した実感がなかった。背景には日本国内外の閉塞感に似たストレスがあっただろう。

そして変化を求める結果にも繋がった様にも思う。激しい論調を発する者を自分達の指導者に求めたり、自ら選んだ指導者を自ら退任に追いやる。背景に其々の社会が経験した現象と、各国毎の文化と、国民性が現れた事は否定できないだろう。

為政者側も国民もそれぞれに身勝手さが強調された一年だった様に思えてならない。

そんな傾向が来年以降も続くとだろうと思える寂しく感じる一年であった。

冒頭に書いたが今の私の境遇に於いてのニュースソースは各種メディアが主で、以前と大きく違っているのは実社会の中に身を置いて世の動きを肌で感じ取る機会がなくなった事だ。そして其の事が否応なく発信主体の素性を知る結果になった。無責任、ご都合主義、無責任、受けを狙っただけの論調、そこに中立、公平、正義は無くなった。

何時の時代にも多様な価値観は存在したのだが、其々が、あまりにも好き勝手な事を無秩序、無責任、かつ感情的に発信した。そんな一年ではなかっただろうか。