先週、伯父が急逝しました。
伯父は70歳。
鹿児島にあるだーわーのオヤジの実家に一人で住んでいました。
生涯独身だったため、ずっと一人暮らし。
結果、発見が遅れてしまいました。
いわゆる孤独死というやつです。
近頃TVなどでも耳にする機会が多くなってましたが、
まさか自分の身近で起こるとは・・・。
近所の方が伯父の姿を見てないので気にして、警察を呼んでいただき
警官の方が鍵を壊して家に入って、死後5日近く経過している伯父を発見したそうです。
伯父はいつも毎日のように実家に電話をしてくるのですが、
オヤジ曰く「ここ何日か電話がないなー、と思ってたらこんなことに・・・」
と、とても落胆していました。
だーわーも慌てて鹿児島へ駆けつけましたが、先述したような状況なので、
伯父の死に顔を拝むことも出来ませんでした。
ここ数年は、電話でたまに会話を交わすだけだった伯父。
実は先月、だーわーは実家でオヤジに「みんなで伯父に会いに行こう」と
話をしたばかりでした。長いこと会っていないし、
何よりも娘を見て欲しかったし。
しかしその時はオヤジの仕事の都合が付かず、
「また秋にでも時間を見つけて行こう」ということで話が終わっていました。
どうせならみんなで行ったほうがいいだろうと思い、
だーわーも了解したのが先月末の話。
それから一月も経たずに飛び込んだ伯父の訃報。
後悔しました。
なぜ自分たちだけでもお盆に会いに行かなかったのか。
嫁さんの実家から一時間かそこらで着く距離なのに。
いつも電話で陽気な声を聞かせてくれたのに。
だーわーの娘の誕生を電話の向こうでとても喜んでくれていたのに。
後悔してもし切れない。
火葬が終わった後、オヤジと供に伯父の家へ行きました。
伯父の家は、警察が窓を割って伯父の死を確認し、
遺体を運び出してそのままにしてあったので、
最低限の後処理をしなくてはなりませんでした。
近所にある農協のお店で購入したクレゾールを持って、
マスクをして家へ入ります。
伯父が倒れていた跡がくっきり残る畳。
敷いたままの布団。洗う前の食器が重なった流し台。
オヤジと2人で黙々と部屋を消毒しました。
改めて周囲を見てみると、玄関の脇には死の前日まで伯父が乗っていた
スーパーカブが停まっています。
敷地の横には、だーわーも小さい頃よく入っていた五右衛門風呂。
その隣には、オヤジと一緒に鶏をつぶした水場もそのまま残っていました。
伯父が嬉しそうに筍を獲っていた裏山。
春には一面がれんげ畑になる棚田。
竹竿で魚を釣りに行った小川。よくハエ(ハヤのことです)を釣ったなぁ。
伯父は「たまに鰻が釣れるんよ」と言ってたけど、結局オレは
一回も釣ることが出来なかった。
とても頭が良くて、色んな話を聞かせてくれた伯父。
いつもゴールデンバットを吸って笑っていた伯父。
家の周囲をぐるりと一周して、さらにはっきりと浮かんでくる伯父の笑顔。
思い出とはあまりに対照的な家を見て、涙が流れました。
早く見つけてあげられなくてごめんね・・・。
-----------------------------------------------
火葬場の控え室にいる時。
沈む一同をよそに、広い部屋で興奮してはしゃぐ我が娘。
ともすれば押しつぶされそうな沈黙の中、娘の無邪気な声に
どれだけ救われたことか。
娘を見てオヤジが一言。
「こうやって命ってのは回って行くんだなぁ・・・」
伯父ちゃん、オレの娘のことはいつかオヤジがそっちに行った時に
たくさん話を聞いてくれな。
そしてオレがいつかそっちに行ったら、また色んな話を聞かせてね。
どうかゆっくり休んでください。
またいつか会う日まで、さよなら。
伯父は70歳。
鹿児島にあるだーわーのオヤジの実家に一人で住んでいました。
生涯独身だったため、ずっと一人暮らし。
結果、発見が遅れてしまいました。
いわゆる孤独死というやつです。
近頃TVなどでも耳にする機会が多くなってましたが、
まさか自分の身近で起こるとは・・・。
近所の方が伯父の姿を見てないので気にして、警察を呼んでいただき
警官の方が鍵を壊して家に入って、死後5日近く経過している伯父を発見したそうです。
伯父はいつも毎日のように実家に電話をしてくるのですが、
オヤジ曰く「ここ何日か電話がないなー、と思ってたらこんなことに・・・」
と、とても落胆していました。
だーわーも慌てて鹿児島へ駆けつけましたが、先述したような状況なので、
伯父の死に顔を拝むことも出来ませんでした。
ここ数年は、電話でたまに会話を交わすだけだった伯父。
実は先月、だーわーは実家でオヤジに「みんなで伯父に会いに行こう」と
話をしたばかりでした。長いこと会っていないし、
何よりも娘を見て欲しかったし。
しかしその時はオヤジの仕事の都合が付かず、
「また秋にでも時間を見つけて行こう」ということで話が終わっていました。
どうせならみんなで行ったほうがいいだろうと思い、
だーわーも了解したのが先月末の話。
それから一月も経たずに飛び込んだ伯父の訃報。
後悔しました。
なぜ自分たちだけでもお盆に会いに行かなかったのか。
嫁さんの実家から一時間かそこらで着く距離なのに。
いつも電話で陽気な声を聞かせてくれたのに。
だーわーの娘の誕生を電話の向こうでとても喜んでくれていたのに。
後悔してもし切れない。
火葬が終わった後、オヤジと供に伯父の家へ行きました。
伯父の家は、警察が窓を割って伯父の死を確認し、
遺体を運び出してそのままにしてあったので、
最低限の後処理をしなくてはなりませんでした。
近所にある農協のお店で購入したクレゾールを持って、
マスクをして家へ入ります。
伯父が倒れていた跡がくっきり残る畳。
敷いたままの布団。洗う前の食器が重なった流し台。
オヤジと2人で黙々と部屋を消毒しました。
改めて周囲を見てみると、玄関の脇には死の前日まで伯父が乗っていた
スーパーカブが停まっています。
敷地の横には、だーわーも小さい頃よく入っていた五右衛門風呂。
その隣には、オヤジと一緒に鶏をつぶした水場もそのまま残っていました。
伯父が嬉しそうに筍を獲っていた裏山。
春には一面がれんげ畑になる棚田。
竹竿で魚を釣りに行った小川。よくハエ(ハヤのことです)を釣ったなぁ。
伯父は「たまに鰻が釣れるんよ」と言ってたけど、結局オレは
一回も釣ることが出来なかった。
とても頭が良くて、色んな話を聞かせてくれた伯父。
いつもゴールデンバットを吸って笑っていた伯父。
家の周囲をぐるりと一周して、さらにはっきりと浮かんでくる伯父の笑顔。
思い出とはあまりに対照的な家を見て、涙が流れました。
早く見つけてあげられなくてごめんね・・・。
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火葬場の控え室にいる時。
沈む一同をよそに、広い部屋で興奮してはしゃぐ我が娘。
ともすれば押しつぶされそうな沈黙の中、娘の無邪気な声に
どれだけ救われたことか。
娘を見てオヤジが一言。
「こうやって命ってのは回って行くんだなぁ・・・」
伯父ちゃん、オレの娘のことはいつかオヤジがそっちに行った時に
たくさん話を聞いてくれな。
そしてオレがいつかそっちに行ったら、また色んな話を聞かせてね。
どうかゆっくり休んでください。
またいつか会う日まで、さよなら。