モデル無き父なれば
1
父は家にいた
父は心には居なかった
家族とは母と姉のことだった
父と言葉を交わした記憶は数えるほど
―高三のとき
父「学校休んでいるんだって?」
息子「明日から行くよ」(そのつもりでいたタイミングだった)
―二十五歳のとき
息子「もうこのアパートへ来ないでください」
父「毎月の小遣いは要らないのか」
息子「要りません」(父に初めてノーと言えた)
―三十四歳のとき
息子「今度、この人と結婚するよ」(約十年ぶりの再会)
父「そうか」(財布から三万円を出して呉れた)
2
息子が産まれたとき
こんな時が訪れるなんてと喜びと戸惑いとがいっぺんに来た
しばらく経って
父は僕を初めて抱いたときどんな気持ちだったろうと思った
だが抱いた姿は想像できなかった
3
父の手の温もり知らず
児を抱き
モデル無き父親なれば
禍(まが)多し
過干渉
愛と錯誤し
子は離れ
●ご訪問ありがとうございます。
父親のモデルを知らずに育った子どもは少なくないでしょう。それでも「何とか父親をやっている」という人もいれば、「うまく父親になれた」という人もいると思います。
私は、自信を失うときは「こんな父親で子どもたちは幸せと思えるのだろうか」と、気持ちがふさぐことがたびたびありました。しみじみ語りあう時間がもてたらいいと思うときもありますが、すでに成人した子どもたちです。子をつかまえることは難しそうです。幸いを祈ることが、いちばんの見守りかなと思います。