あさて、今回広島に行こうと思ったのは、
かつて九州からの帰り道に広島に泊まったことがあるのだけれども、到着が夕方遅くて資料館とか見られなかったことなどもあり、一度はちゃんと見ておこうと思い。
なにより、今の時期に来なければならないのではないかな、と思ったからですた。
川むこうから、再度 専用機 で。
ズームどーん。カラスが。
爆心地に近く、爆風の角度がアレで、倒壊せずに残ったのだそうな。
橋を渡って、そのそばへ。
補修が行われているとは言え、その存在感はすさまじく。
曲がった鉄骨。
上の方にばかり視線がいくのだが、よく見ると「その日」か、そのあとの日々にか、崩れ落ちたがれきが、そのままになっているのであった。
なんていうか、切ないよねぇ。
原爆ドームを一周して、再びもと来た道を戻る。
公園の道端。
やや。
凹んでいるので全然見えないが、スズメたちが穴に埋もれて砂浴びをしていた。
か、かわゆす。
このあと、200円を払って資料館へ。
エスカレータを上がると、被曝前の広島の様子の写真が、壁一面に貼られていた。
ごくごく普通の、当時の活気のある、和服など召したご婦人方が楽しそうに行き来する街の写真。
次のコーナーへの入口をくぐると、
そこには焼け野原となった広島の街の写真が一面に。
そんなつもりはなかったのだが、予期せず涙が溢れる。
直径数メートルの円形のジオラマに、プロジェクションで投影される「その時」の様子に、嗚咽のようなものを覚える。
親が死んでも泣かなかったのに。
ジオラマの向こう側で、やっぱり泣いてる女の子がいた。日本人の女の子だった。
#ほとんどが外国人観光客なのだが
資料館は現在リニューアル中ということだが、なんちゅーか、以前から見聞きしていたような衝撃的な展示物は少なく、全体的にやんわりとした内容になっているのが、ちょっと残念だった。
どんなに辛くても、事実を受け止めなければならない。
それが歴史に学ぶということなのではないだろうか?
来て良かった。
来たことで、自分自身も当事者となった。
(つづく)