会報No11掲載の『「孤島に築く」悪石島の工事記録』より一部抜粋し、DKKの役割についての投稿としてブログに掲載
「孤島に築く」(懐かしの16mmフィルム)悪石島の工事記録を見返して
昨年(2022年)は沖縄が返還50周年です。私は返還6年後の昭和53年(1978年)に電電公社に入りました。4月1日、日比谷電電ビルに当時あった講堂での入社式に臨み、そのまま中央学園にバスで移動し、1か月間の前期訓練がスタートしました。
前期訓練で記録映画「孤島に築く」が上映されました。別名「悪石島の記録」です。この映画をご覧になった方も多いと思います。
オープニングが勇ましく、ずっと記憶に残っていました。沖縄県の人達に本土と同じ品質でカラーテレビを見て頂くために沖縄と本土を結ぶマイクロルートの建設が決まり、電電公社の総力で取組みました。その中で特に難工事だったのが悪石島で、記録映画が製作されました。
新入社員研修での上映の狙い通りに私は映像に感動し、電電公社マンの使命を感じましたが、同時に、豪快な工事記録を見て(エライところに就職してしまった)と正直思いました。
返還50周年で映画を改めて思い出し、もう一度見てみたいとネットで探しました。
見つかりました。
「関東電友会東京無線支部」のHPに「懐かしの16mmフィルム」があり、その中の「孤島に築く:本土~沖縄マイクロ回線工事の記録」をクリックすると懐かしい映画をそのまま見ることができます。
オープニング画面には「本工事は施設局 建築局 九州電気通信局及び琉球電電公社の協力のもとに実施された」とあります。電気も道路も無い悪条件の中で調査、設計、工事(請負会社はH組)を短期間で仕上げた先輩方の努力と技術力に驚くばかりです。
「関東電友会東京無線支部」 http://musensb2019.sakura.ne.jp/16mm/16mm.html で検索し、懐かしい映像をぜひご覧ください。
先日の電気通信協会賞授賞式での受賞者1分間スピーチで「孤島に築く」から電電公社生活がスタートしたことを紹介しました。
そのスピーチを聞いた技術系の大先輩達から「久しぶりに悪石島を思い出したよ」「建築局は頑張ってくれた」「電気が無いから港の近くに発電機を置いて重い電力ケーブルを山頂まで引き上げたんだ」など当時苦労されたお話をいろいろと伺いました。
先輩方の苦労の先に今があることを改めて思いました。
自動車電話や携帯電話の登場でマイクロ無線は都市型の無線通信に主軸が移りました。そして光ケーブルの登場により電電公社で蓄積した山上無線中継所や都市間マイクロ通信の技術やノウハウは次第に更新が止まってしまいました。
過去の経験や技術、ノウハウが時代の流れで表舞台から少しずつ消えて行きます。
「関東電友会東京無線支部」のようにデータベース化して残せば記録として将来に繋いでいくことは出来ます。
技術は常に進化し、上書きされて行きます。新しい世代の人達が上書きされた情報だけを追い掛けるのではなく、上書き前に遡り、進化のプロセスを知り、そこに次の進化に繋げる価値、ヒントを見出すことが出来れば素晴らしいと思います。
悪石島をきっかけに、改めてDKKの役割を考えた次第です。
2022年6月2日 (会報への投稿日)
東京支部 支部長 齋藤聰
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます