同窓会箕面

同窓会のお知らせ

若井先生の講演会中止

2022-01-30 15:06:13 | 親睦会行事

若井先生の講演会に申し込み頂いた方々へ

誠に申訳ありませんが、22年2月12日(土)の講演会を中止させて頂きます。大阪府の新規患者が1万人を超える現状で、「安全安心」を最優先にするならば、講演会の中止もやむを得ないとのコンセンサスを得ました。2度に亘り講演会の企画をしましたが、講演会の中止は苦渋の決断である事をご理解戴きたいと思います。   

            同窓会池田・箕面   会   長 本城靖亮 

                       実行委員会 中村伸作


同窓会箕面ハイキング同好会(粟生方面)

2022-01-11 13:35:09 | オープンキャンパス

同窓会箕面ハイキング同好会(粟生方面)2022年1月7日(金) 

9時半箕面駅集合9時51分(阪急バス)→10時3分青松園前→10時10分為那都比古神社→帝釈寺→粟生外院の五字神社→善福寺→楠木神社→中村の天満宮→間谷の庚申塔と道標→山之口の五字神社→粟生団地12時25分(阪急バス)→箕面駅12時45分→嵯峨野茶屋(昼食)

今日は9人が参加しました。木越さん、太田さん、飯田さん、その奥さん、荒西さん、森山さん、松山さんそして初参加の新人・岩崎さんでした。

阪急バスで青松園前まで行き、少し南東にある為那都比古神社に着くと、いつもお世話になっている箕面観光ボランティアガイドの方が4人来られていて、伊東さん、唐木さん、犬石さん、岡田さんというベテランのメンバーでした。

為那都比古神社を皮切りに、東方面へ初詣の寺社を次々に訪問して行き、各所でガイドの人に説明してもらい皆さん認識も新たにされ、今日も又楽しい一時になったようです。

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次回2月4日(水)の予定は下記の通りです。

同窓会箕面ハイキング同好会(小野原方面) 2022年2月4日(金)
桜井駅9時半集合→南桜井バス停9時52分→(阪急バス)→10時10分新家バス停

勝尾寺大鳥居→西の常夜灯→笹川良一墓→理照寺→正念寺→春日神社→西国裏街道→東の常夜灯→小野原近辺で昼食

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各所での主な説明は下記の通りです。

為那都比古神社
延喜式の古社で、為奈物部氏出自の猪名県主が祖神の為那都比古、為那都比売を祀ったもの。元々は1kmほど西の大宮神社跡にあったが、後にここに移った。中近世には牛頭天王を祀って牛頭天王社と呼んだが、ここが為那都比古社であることを示した標石が、寺社奉行大岡忠相により元文元年(1736)境内に立てられている。明治末の神社統合により、萱野村内の神社はすべてここに統合された。境内内のヤマモモは保護樹木。

帝釈寺
平安時代に作られた真言宗の古寺である。勝尾寺を弥勒仏の内院と考え、その山麓の外院において、守護の天部を祀った寺である。帝釈天、毘沙門天、弁才天の三天を祀って、古くは三天寺と称したが、現在は帝釈天を主尊として帝釈寺と称している。毎年、節分には山伏の柴燈護摩が行われる。境内には宝暦5年(1755)の庚申塔があり、三十番の勝尾寺町石もある。境内のヤマモモは立派で保護樹木である。

粟生外院の五字神社
もとは帝釈寺の境内にあった鎮守社を安永6年(1777)にここに遷したもの。山之口の五字神社と同様に、八意思兼命を祀るが、ここは「ごじ」神社と読む。これは地主神である護地明神を配祀するためである。境内には牛頭天王の碑があり、珍しい灯籠型の愛宕社がある。境内のヤマモモ、アラカシなどは保護樹林である。

善福寺
真言宗の寺で、開成皇子が勝尾寺を開いた時、その山麓に作られた外院6坊の一つと伝えられるが、定かではない。参道の坂道の途中に享保2年(1717)の庚申塔がある。この寺の南側の台地は善福寺原と呼ばれ、中世には、善福寺原城と呼ばれる砦が設けられていた。

楠木神社
粟生間谷の奥の集落の氏神である。祭神として天照皇太神宮の神札が祀られている。明治40年の神社統合によって素盞鳴尊神社に合祀されたが、戦後再び分祀されて、ここに戻ったもので、現在でも素盞鳴尊神社の御旅所となっている。境内には大きなムクノキがあり保護樹木である。

中村の天満宮
粟生間谷の中村地区の氏神である。境内には樹齢数百年の巨大なムクノキがある。祭神は菅原道真であるが、このムクノキがもともとのご神体であったろうと云われている。境内の裏口の所に巡礼道の道標がある。

間谷の庚申塔と道標
総持寺から勝尾寺へ向かう巡礼道が裏川を渡った所に石仏群があり、その中に享保8年(1723)に建てられた庚申塔が2基ある。さらに新しく、昭和51年に建てた角柱の碑にも青面金剛・地蔵菩薩の文字が刻まれている。その端に立つ「左かちをじ道」の道標は筑前博多の人の文化15年(1818)の寄進である。道の反対側には、大峰山五十五度の碑があり、文政8年(1825)粟生村西鐘掛組とある。

山之口の五字神社
八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祭神とする珍しい神社である。粟生外院にある五字神社が「ごじ」神社と読むのに対して、ここは「ごあざ」神社と読む。これは、山之口地区を構成する5つの垣内(かいと)、山之口、白駒井(はっくい)、垂井引成、釜屋、辻ケ市の氏神であるためである。境内は保護樹林で、エノキ、センダンなどがある。

尚、時間の都合で訪問出来なかった場所は下記の2ヶ所です。

素盞鳴尊神社
祇園の神で防疫神である牛頭天王を祀り、粟生天王社と称していたが、明治初期の神仏分離によって素盞鳴尊神社と改名したものである。大正7年、神社統合において、この社が粟生村の総社とされ、粟生村内の全ての神社がここに統合されたが、戦後それらは再び元の場所に戻った。参道脇に愛宕社がある。平安時代にここにあった菩提寺との関係は明らかでない。境内はコジイ・ヤマモモなどの保護樹林である。

法泉寺
建保元年(1213)に開かれて浄土宗の寺である。民話「守り隠れさん」で語られる悲劇の庄屋市郎兵衛の位牌が伝えられている。隣には本成寺と云う日蓮宗の寺があったが、焼失して今はない。この本成寺の場所は中世の砦跡で、空堀や狼煙台の跡が残っている。

写真は、為那都比古神社と嵯峨野茶家です。