同窓会箕面

同窓会のお知らせ

同窓会箕面・箕面森町周辺ハイキング

2023-02-19 15:00:20 | 親睦会行事

箕面森町周辺ハイキング 

同窓会箕面・親睦部・ハイキング同好会 共催

開 催 日 : 2023年3月24日() 

◆ 集合時間 : 午前20

◆ 集合場所 : 阪急箕面駅 改札口付近

持 ち 物 : 弁当持参の事

◆ 行程  阪急バス 09:30発→白島09:38 乗換

       09:57発→箕面森町地区センター10:57

       長尾街道散策(エドヒガン桜、ミツマタ鑑賞)→

       吉川峠→能勢電鉄妙見口駅前

※同窓会箕面 親睦部とハイキング同好会の共催です。参加される方は

 「 参加 」とメール・メッセージ・ライン等で連絡して下さい。

 

お申込み問合せ先 親睦部 中村伸作 

E-mail  nshinsaku@jcom.zaq.ne.jp

携 帯 :090-2060-9822

 

 


同窓会箕面・ハイキング同好会(池田市古墳巡り)

2023-02-05 11:54:22 | 同好会

同窓会箕面・ハイキング同好会(池田市古墳巡り) 2023年2月3日(金)

阪急・石橋阪大前駅東改札口9時半集合→二子塚(稲荷山)古墳→井口堂・有馬堂の道標→水月公園→釈迦院(尊鉢厄神)→一乗院→五社神社(鉢塚古墳)→能勢街道→辻ヶ池公園→五月ヶ丘古墳→歴史民俗資料館→茶臼山古墳→池田城跡公園→池田駅前うどん店・ひら川(昼食) 約8km

参加者11名(敬称略):前田 森山 飯田 宮原 松山 間野 山下 太田 木越 荒西 池上

池田市は大阪府の北西部、大阪平野の北辺部に位置し、市域は南北に細長く、北部は北摂山地の五月山と久安寺川沿いの小盆地、南部は扇状地と猪名川の平野となっています。

古墳時代から奈良時代には、渡来系氏族の「秦氏」が居住し、秦上郷、秦下郷、豊島郷と呼ばれました。室町時代には、土豪の池田氏が大きな勢力を持ち、このころから「池田」という地名が生まれたといいます。

明治22年に池田村が池田町になり、昭和10年には、池田町・細河村・北豊島村・秦野村の1町3村が合併し、昭和14年に、人口約36,000人をもって、大阪府下6番目に市制を施行し、現在は約10万人の人口になっています。

今日は、石橋駅前から池田市方面へ延びる能勢街道付近に点在し、趣の異なる古墳4ヶ所を中心に巡って歩きました。

9時半に石橋駅から出発し、北へ5分程歩くと二子塚(稲荷山)古墳が小高い丘となって残っています。古墳時代後期(6世紀)に出来た竪穴式石室の古墳で、その石室が二つあることから二子塚で、古墳の上に稲荷神社があることから稲荷山古墳となりました。

その古墳を確認した後、能勢街道を北へ3分程歩くと、井口堂の道標があり、南北の能勢街道と東西の有馬道が出会う場所に「右ハ大坂道・南無阿弥陀仏・左ハ京道」とあり、すぐ西の有馬堂の道標には「右ハいけだみち・南無阿弥陀仏、左ハありまみち」とあり、太閤秀吉が、ねねと共に京都から有馬温泉へここを通ったと思われます。

私達は右のいけだみちを進みます。約6分で水月公園に着きました。水月公園の入り口に「源遠流長」と刻まれた石の門があり、友好都市の中国蘇州市から1991年に届いた提携10周年記念の贈り物で、「両国の友情の歴史は悠久でかつ絶えることなく発展し前途は希望にあふれている」という意味だそうです。

北へ石段を登り、二尾池の右側へ進むと、花菖蒲園があり、その中に蘇州市からの「斉芳帝(せいほうてい)」という東屋があり、異国情緒が感じられます。6月には綺麗な花菖蒲が沢山咲き誇る有名な花園で、その先の小高い丘の上には梅林があり、紅白とも梅が咲き掛けていて、少し早い観梅となりました。

水月公園を西へ出てすぐのところに釈迦院(尊鉢厄神)があり参拝します。神亀元年(724)に若王子(にゃこうじ)として聖武天皇の勅願により創建されました。奈良の行基菩薩が夢のお告げで、神功皇后持ち帰りの鉄鉢が出たと言われ、厄落としの「尊鉢厄神さん」の愛称で親しまれています。信長の兵火で焼失のあと釈迦院の名で再建され、秀吉の北の政所(ねね)がここで朝鮮の役の戦勝祈願をしたと言われています。

5分程西南に歩くと一乗院という寺に着きます。「石田三成軍旗塚」として有名で、三成の遺児千代丸が乳母や遺臣と尊鉢村に隠れ住んだと言われ、このお寺の近くには表札に「石田」と書かれた家が数多く点在し、石田三成の末裔だと思われます。そう言えば、歌手兼女優の「いしだあゆみ」の実家も池田駅前にありました。

徒歩約5分北には、今日のハイライトである五社神社の鉢塚古墳があります。地下にある石室への道へのドアは開錠されていて、更にライトアップもされていて、奥まで見学する事が出来、6世紀末の円墳で、日本屈指の巨石横穴式石室であることには驚かされます。

皆納得して、又能勢街道を北西へ歩いて行きます。辻ヶ池公園まで来ると、北東へ進路を取り、緩やかな登り坂を登って行くと、五月ヶ丘古墳と隣の歴史民俗資料館がありました。

五月ヶ丘古墳は古墳時代後期の7世紀の築造の小型円墳で、石室の中に奥には石棺ならぬ須恵器の陶棺のレプリカが置かれていました。隣の歴史民俗資料館には、池田市の考古・歴史・民俗・美術工芸等と共に、現在は企画展として「ちょっと昔のくらしの道具展」も開催されていて、興味深い展示品が沢山並んでいましたが、時間もなく、簡単に見学して先を急ぎました。

その先の北西の小高い丘を登ると茶臼山古墳に着きました。4世紀中頃の古墳時代前期の前方後円墳で竪穴式石室を持ちます。この丘の上からの眺望は素晴らしく、皆いつまでも眺めていたいと思われました。

箕面池田山麓線から池田市立五月山体育館の横を西へ通り、池田城跡公園から池田駅前に12時半に着き予約していたうどん店・ひら川での昼食となりました。

今日は池田市の古墳4ヶ所を巡りましたが、ほとんどの人が初めてで、こんな街中に古墳が幾つもあるという事に気付いた貴重な一日でした。

写真は、茶臼山古墳とうどん店・ひら川です。