著者は、50年間も盲人同様に過ごしてきた女性である。
「 私には片目があった。 だが、その目にも深い傷跡がついていて、
左の目尻にある小さな隙間からしか物を見ることが できなかった。
本を読むといっても、本を顔にぴったりとつけて 目の筋肉を引き締め、
眼球をできるだけ左のほうに寄せることが必要だった」
。。。。。
「 私の心の裏側には 絶えず全盲になりはしないかという恐怖が潜んでいた。
これを克服するために、私は人生に対して快活というよりも 陽気な態度で立ち向かった 」 と彼女は記している。
やがて1943年、彼女が52歳を迎えた時に 奇跡が起こった。
かの有名なメイヨー診療所での手術によって、彼女は以前の40倍も見えるようになったのだ。
新鮮で心の躍る 美の世界が開けた。
台所での皿洗いすら 彼女にとってはスリルに富んだものとなった。
彼女はこう書いている。
「 私は白いフワッとした洗剤とたわむれはじめる。
手を入れて、小さな洗剤の泡をすくい上げる。
その泡を光にかざすと、その一つ一つの中に小さな虹の美しい輝きを見ることができる 」。
また彼女は、台所の流し台の上の窓から
「 降りしきる雪の中を、灰色の雀が羽ばたきながら飛んでいく 」 のを見たとも書いている。
洗剤の泡や 雀を見て、これほどまでに感激した彼女は、著書の最後を次のように結んでいる。
「 『 神様 』。 私は小声で申します。
天にいます我らの父よ、 私は あなたに感謝いたします。 私は あなたに感謝いたします 」
D・カーネギー 道は開ける 香山 晶 訳より

「 私には片目があった。 だが、その目にも深い傷跡がついていて、
左の目尻にある小さな隙間からしか物を見ることが できなかった。
本を読むといっても、本を顔にぴったりとつけて 目の筋肉を引き締め、
眼球をできるだけ左のほうに寄せることが必要だった」
。。。。。
「 私の心の裏側には 絶えず全盲になりはしないかという恐怖が潜んでいた。
これを克服するために、私は人生に対して快活というよりも 陽気な態度で立ち向かった 」 と彼女は記している。
やがて1943年、彼女が52歳を迎えた時に 奇跡が起こった。
かの有名なメイヨー診療所での手術によって、彼女は以前の40倍も見えるようになったのだ。
新鮮で心の躍る 美の世界が開けた。
台所での皿洗いすら 彼女にとってはスリルに富んだものとなった。
彼女はこう書いている。
「 私は白いフワッとした洗剤とたわむれはじめる。
手を入れて、小さな洗剤の泡をすくい上げる。
その泡を光にかざすと、その一つ一つの中に小さな虹の美しい輝きを見ることができる 」。
また彼女は、台所の流し台の上の窓から
「 降りしきる雪の中を、灰色の雀が羽ばたきながら飛んでいく 」 のを見たとも書いている。
洗剤の泡や 雀を見て、これほどまでに感激した彼女は、著書の最後を次のように結んでいる。
「 『 神様 』。 私は小声で申します。
天にいます我らの父よ、 私は あなたに感謝いたします。 私は あなたに感謝いたします 」
D・カーネギー 道は開ける 香山 晶 訳より
