模型の館@ジユウノツバサ

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KOKORO

2011年05月19日 | その他雑談
 トラボルタさんの作詞作曲『ココロ』を原作とした舞台劇『KOKORO』を去る4月29日、シアター1010で観てきました。ネタバレ嫌な方はここから先は読まないでください。

 実は原曲『ココロ』については現場に着くまで聞いたことがなかったのですが、ワタシ自身が演劇を観に行くこと自体が初めてということもあり、先入観を持たないようあえて原曲を聞かないまま観劇に臨んでいます。で、終わった後この文章を書く段になって初めてちゃんと聞きました。

 共にココロシステムの開発に携わっていた岸田と天本。二人は1号機の事故を経て別々の道へ進みます。岸田は研究所を離れココロシステムの開発を密かに続け、天本は研究所に残って開発の凍結されたココロシステムとモデルとなったリンという女性の記憶を取り除いた形で2号機の人工知能の開発を進めます。

 岸田はリンを丸ごとコピーすることに主眼としてココロシステムを作り上げ、結果的に2号機の体を乗っ取った1号機に刺されてしまいます。開発を続けた動機が、一度目の事故で死なせてしまったリンに謝りたかったと語っていますが、見様によってはそれは岸田のエゴでしかないわけです。なまじ心を持ってしまった「もの」が、そんな理由で自分が生み出され、寿命100時間という宿命を負わされれば憎悪の塊にもなるでしょう。

 一方、天本の作ったロボットも全く感情のないものとしては描かれてなかった印象を受けました。2号機は疑問に対して自律的に知りたいと考え、未来の兵士ロボットも2号機のインストールの手助けをしたいと、それぞれに意思の存在が見られる表現でした。それを演出上の矛盾と考えるよりは(というか原曲の歌詞もそうなのだし)、天本がリンの代替としてではなく、別の人格として2号機と向き合った結果、意図せず心を宿したと解釈したいです、個人的には。

 そして佐原が引き継いで死ぬまで再インストールすることなく開発を続けたココロシステム。このインストールが成功したか否かは劇中で明確には描かれていませんが、2号機の内面世界で終えるラストシーンに1号機のような憎悪の感情は存在しませんでした。「記憶は心と結びついて思い出になる」というような台詞が劇中にあります。リンとしての記憶はなくとも、天本や町子、佐原たちとの関係性のなかで蓄積された記憶が2号機を救ったということなのでしょうか。

 で、最後に原曲を聴いてみました。関連動画とか色々見てみると他にも色んな解釈がありますが、この舞台劇の解釈は十分にアリだったなと思います。素直に面白かったです。

BGM:【ニコニコ動画】【鏡音リン】 ココロ 【オリジナル曲】


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