すべては皇室に繋がっている

安倍元総理と中東との良好な関係は雅子様が入内し中東を訪問したおかげ 両陛下が作った安倍元総理の外交力⑵

安倍元総理の中東訪問は歴代総理の中で断トツ多く、友好関係を築いていた。

それは、盟友福田康夫元総理が中東に太いパイプを持っていた事も大きかったが。

雅子様が入内して両陛下が中東訪問を実現した事による。


安倍元総理の中東訪問は、両陛下の訪問から約15年後〜20年後に行われた。

当時まだ若かった関係者は地位も上がり、それなりの影響力を持っている。

関係を深めるには絶好のタイミングだった。


女性を同伴しない決まりの中東が自国の文化風習を封印して皇太子妃同伴を認めた。

皇太子妃の公式行事への参列も受け入れ、ご夫妻をもてなした。

中東の国々がそこまで譲歩した事に世界中が驚いただろう。

皇室や日本に対する世界の評価が大きく変わった。


中東には女性が公の場に出ない決まりがある。

それにも関わらず、平成6年から7年にかけて皇太子だった天皇陛下は雅子様を伴い中東7ヵ国を訪問した。

晩餐会は男女別々に開かれる為、雅子様は女性主催の晩餐会に出席するなど別行動もあったが。

歓迎行事など多くの行事で皇太子ご夫妻は行動を共にされた。


中東7ヵ国がそこまで譲歩したのはなぜか。

雅子様が小和田恒氏の娘だから・・・という理由が一番に考えられる。

なぜなら、小和田恒氏は全方位外交を掲げて中東との関係強化にも熱心だった福田赳夫元総理の総理大臣時代の秘書官だったからだ。












コメント一覧

eicttif
@hakusou_onlinechecker イスラム法で女性の行動は様々制限されています。
例えば、車の運転禁止はようやく改正になりましたが、自転車の運転は今も禁止されているようです。

上皇ご夫妻の1981年のサウジアラビア訪問はスリランカとセットでした。
イスラム諸国を歴訪した両陛下とは目的が違うでしょう。

>湾岸戦争後、日本の資金支援・掃海艇派遣が国際社会に評価されなかった。
なので、当時の外交関係者は、焦っていた。

日本だけ支援国の一覧に含まれていなかった
という事で、日本の支援が国際社会で評価されなかったと騒ぐ人達がいましたが、果たして本当のところはどうだったのでしょう。

日本は湾岸戦争で敵方となったイラクと非常に親しい関係にありました。
湾岸戦争が終わった後、イラクの復興に日本は相当力を注ぎます。
湾岸戦争でイラクの敵方になった事を大々的にアピールすることが日本にとって得策だったのか。

湾岸戦争で評価されないから焦って中東7ヵ国の訪問をセットするというのは筋が通りません。
評価されていない国の皇太子夫妻をあそこまでもてなしてくれるでしょうか。
eicttif
スズメバチさん。
ハンドルネームは統一してください。
サクラ、スイートピーなどなど殆どのコメントをハンドルネーム替えてもらっています。
hakusou_onlinechecker
「中東には女性が公の場に出ない決まり」というよりも慣習。
ちなみに、81年に当時の皇太子夫妻がサウジ訪問。
女性皇族の中東訪問、先例がないわけではない。

湾岸戦争後、日本の資金支援・掃海艇派遣が国際社会に評価されなかった。
なので、当時の外交関係者は、焦っていた。
焦りの一端が、90年代の皇太子夫妻による中東訪問。
スズメバチ
思い出しました。当時皇太子ご夫妻の阪神大震災直後の顰蹙を買った中東訪問でした。ラクダレースで大きな口を開けて馬鹿笑いしたり、紅白衣装だったり、ヨルダンでは「自国が大変だから、早く帰るように」と促されてぶんむくれたり、「死海が見られなくて残念」などとバカなことを言ったりして呆れられていました。
このご夫妻はその当時から全く進歩していません。国民に寄り添うなどと口先ばかりで、自分たちのことしか考えていないようです。
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