秋篠宮ご夫妻は令和5年春に行われたヨルダン皇太子の結婚式に招待されていたが欠席。
皇室からは高円宮妃久子様と長女の承子様が出席した。
その事が令和6年12月の秋篠宮ご夫妻のトルコ訪問に関係していた事は想像に難くない。
ヨルダン王家はトルコにとって憎っくき相手である。
ヨルダン王国は第一次世界大戦後に建国されたアラブ人の国で、長くオスマントルコに支配され領土の一部となっていた。
そこでアラブ人は第一次世界大戦の時に内乱を起こしオスマントルコ敗戦後に自分達の王国を作った。
ヨルダン側に言わせれば自分達の王国を取り戻したに過ぎないが。
中東の不安定な状況はそれ以来続いている。
オスマントルコの支配下で中東は長く平和だったというのがトルコ側の主張である。
秋篠宮ご夫妻がヨルダン皇太子の結婚式に出席してヨルダン王家との親密な関係を感じさせる写真や動画が世界に配信される
時を置かずトルコを訪問する
となった場合、トルコの反応はどうだったか。
トルコはアジアとヨーロッパのつなぎ目に位置する中東の国。
地政学的に非常に重要な国とされている。
ただ、王室は無く国力も大きくはない。
そして何よりトルコとの関係が良くない国が多く、親しくすると外交に差し支えるという厄介な事情がある。
そこで天皇陛下や皇太子殿下の公式訪問はこれまで一度もなかった。
アラブ、ヨーロッパ、アジアと広範囲に渡ってオスマントルコ、トルコ人の支配が続いた事で、トルコを快く思わない国々人々が多いのだ。
それゆえ、昭和天皇の末弟の三笠宮殿下がトルコ担当となり関係を深め、協会の総裁を務めた。
そして、トルコとの関係や総裁職は息子の寬仁殿下、孫の彬子様に引き継がれた訳だが。
彬子様には三笠宮家を継ぐ資格がない為、三笠宮家は存続の危機にある。
外交100年を記念して秋篠宮ご夫妻がトルコを訪問したが、彬子様が結婚して夫妻で訪問出来れば、秋篠宮ご夫妻のヨルダンキャンセルも無かった。
三笠宮家が廃絶となった場合、トルコ担当は秋篠宮ご夫妻が受け持つしかない。
三笠宮家がトルコ一択だったように、トルコ担当となれば他国への訪問は非常に難しくなる。