藤沢市は、平安時代の後期から「大庭御厨」という伊勢神宮の御厨だった。
御厨(みくりや)とは、皇室や伊勢神宮の荘園(領地)の事。
神様にお供えする魚介類や農産物を納める地域であり、そういう役割を担う集団の住む地域でもあった。
皇室や伊勢神宮の荘園(領地)であれば、簡単に手を出せない。
荘園を守る役割を担った武士が台頭し、領地の取り合いが激化した時代。
開墾した荘園を領主が寄進して御厨になるケースが増えた。
「大庭御厨」はそういう寄進型の御厨である。
寄進型の場合は、伊勢神宮領といっても形式的なもので、領主は変わらない。
藤沢市にはその300年前から、天照大神を祭神とする神明宮があった。
そして、大庭御厨が成立すると「皇大神宮」となった。
「皇大神宮」は天照大神を祭神とする伊勢神宮の内宮と同じ名称。
藤沢市には、徳川幕府が出来る前、家康が江戸を本拠地にしてから、鎌倉へ鷹狩に行く時の宿泊施設、藤沢御殿が建てられた。
その御殿が使われた時期は短かったが、跡地に戦前の一時期ゴルフ場が作られた。
政財界人向けの高級ゴルフ場。
ゴルフ場が開場した時には、久邇宮朝融王(上皇陛下の伯父・香淳皇后の長兄)や鳩彦王妃允子内親王(明治天皇第8皇女・朝香宮鳩彦王の妃)が来場した。
小室圭さんの一族はこの地に長らく暮らし、父親はこの近くで生まれ育ったらしい。