突然のブログ閉鎖から約2年。
本当は、もうブログの更新は考えていませんでした。
でも、どうしても伝えたい事があり本日、2月13日、
ブログを更新させて頂きました。
~令和の始まり~
母の手料理
乾杯は、いつもシャンパン
シャンパンを抜くのは、いつも父でしたが
今年は私の主人が、なぜか・・・
父に代わって抜きました。
2020年 1月 1日
突然のブログ閉鎖から約2年。
本当は、もうブログの更新は考えていませんでした。
でも、どうしても伝えたい事があり本日、2月13日、
ブログを更新させて頂きました。
~令和の始まり~
母の手料理
乾杯は、いつもシャンパン
シャンパンを抜くのは、いつも父でしたが
今年は私の主人が、なぜか・・・
父に代わって抜きました。
2020年 1月 1日
~82th・Happy Birthday~
2018. 1.25
昔は、お誕生日を外でする事が多かったのですが、
この頃は、お家で、のんびりと乾杯。そう外食では
飲む事ができませんからね。
元気が何よりです。
この日の私は・・・最悪でした。
抜歯3日目。worst
~お別れ会~
昨日6月22日(木曜日)。
帝国ホテルにて開かれたペギー葉山さんの、お別れ会。
父と母も参列。会場ではボニーの皆さんと昔話し。
(あべ静江さんも一緒に、お写真を。。。)
「人生は楽しく生きるのよ」
というペギーさんの残した言葉に・・・
皆さん、笑顔で、お別れ。
「ケ・セラ・セラ」
父にも母にも、そんな人生を生きてほしい。
祭壇には、ひまわりなどの約2200本の花。
ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の
世界観が表現。素敵です。
~Father's Day~
六月十八日(日曜日)
父の日、夜は実家で乾杯。
母の手作り料理。
〝玉葱まるごとスープ〟が父の好物。
私&主人からは〝ウォーキングシューズ〟
をプレゼント。
運動不足気味の様なので・・・
軽くて歩きやすそうなシューズをチョイス。
父の元気な顔を見て
本当に
心から
元気でいてくれている事に感謝。
生きていてくれるだけで
大満足。
長生きしてねッ♪
DUKEのプライド。なのか
皆様の心の中に
DUKEの歌声が、ずっとずっと残ります様に。
父の声が残ります様に。
四人のハーモニーが残ります様に。
心から願います。
支えて下さった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。
~女ひとり~
「にほんのうた」シリーズの一曲
京都の歌「女ひとり」
永 六輔・作詞、いずみたく・作曲
1965年から今まで
歌わない年は一度もなかった父だから・・・
これからも歌い続けてほしい!と願います。
「~京都、大原、三千院~♪」
https://www.youtube.com/watch?v=_58Z8NECTNs
「三千院」の名前を知らしめた、この歌について、三千院の
担当者は「コマーシャルソングをつくっていただいたもの」と
降り返る。近くには歌碑も建てられていて、最近では平成
25年8月に永六輔さんは、そこで写真を撮っていたという。
父も・・・
個人的に母と「三千院」に行き、色々と
住職さんと、お話しをして永さんと同じ様に歌碑の
前で写真を撮ってきたのは、もう10年近く前の事。
~Last recording~
昭和のスターが、又、いなくなってしまいました。
「永 六輔」(えい ろくすけ)さん・・・
父のコンサートでは何度も、お会いした事がありますが、
とにかく笑顔の素敵な、お喋りが本当に楽しい方でした。
〝生きるものの歌〟
作詞:永六輔/作曲:中村八大
あなたが この世に生まれ あなたが この世を去る
わたしが この世に生まれ わたしが この世を去る
その時 未来はある その時 涙がある
そこに生きるものの 歌がある 歌がある
2014年6月30日
車椅子でスタジオ入りした永さん。
父も、この時は体調が悪い中でしたので私も心配で
レコーディングが終わるまで、スタジオの近くで待機。
母がスタジオに付き添って、レコーディングを別室の
モニターで見ていたそうなのですが、それは素晴らしい
レコーディングだったそうです。永さんのプロ意識の
高さに、みんな感動したと聞きました。
ご冥福を心から、お祈りします。
見上げてごらん、夜の星を・・・。
永さんの星を見つけたいと
思います。
~Valentine's Day~
日曜日の〝Valentine's Day〟
帰国したばかり…時差ボケしている中でしたが
父にチョコレートを渡しに実家へ行って来ました。
私はチョコレートウラウニーを作って父にプレゼント。
食後のデザ-トで頂きました。
母の手作り料理は、やっぱり美味しいです♪
~Letter~
今から20年前、父が還暦の記念に計画した富士登山。
参加したのは、父と私の旦那様と父の友人夫妻の4人。
下山後に聞いた富士山からの〝ご来光〟という大自然
の感動物語りに私の心は居ても立っても居られなくなり、
直ぐに私も富士登山を志望。そして1週間後には実行!
【主人と2人で登る事になり、1週間に2回の富士登山を
主人は経験する破目になってしまいました。( ̄∇ ̄;】
富士登山・当日の夜、
父からの手紙がありました。
↓
やっぱり登るんだネ。行くからには頑張っておいで。
ただし絶対に無理はイケマセン。
チャレンジする勇気も大変だけど引きかえす
勇気は、もっと大変だョ。行ける処迄、行って、
きっぱりアキラメル事も大事。でも力いっぱい
登っておいで・・・・・・。
パパ
【*若干、省略文有り】
懐かしい手紙と写真を眺めながら時の流れに
懐かしさ、愛おしさ、切なさを感じる私でした。
あっ、そんな訳で
私も富士山の頂上から〝ご来光〟
を拝む事ができました。
~Sanju~
父も昨日の誕生日で80歳
「傘寿」(さんじゅ)の、お祝いを無事、終えました。
月日の流れは早いです。60歳「還暦」(かんれき)の記念にと
〝富士山登山〟をした事が、つい最近の様に思い出されます。
次は
88歳「米寿」(べいじゅ)まで、頑張って元気でいてほしいと
願います。その時は、びっくりする様な企画を立てますから!
~還暦記念テレホンカード~
富士山の頂上にて撮影。