★加筆【指導者・最重要理学講義】☆『ハートに繋がる「無我夢中が愛気・脳内麻薬」で自他が消える』TAO!
ランナーズハイ(βエンドロフィン分泌)の快感覚は
運動を通じて分泌される脳内物質。
この脳内麻薬物質は20分以上の軽い運動でも
✧✧✧✧※「心身が完全脱力していると」出現すると言われている。
ビジネスシーンでの 毎日多忙な生活、
成果が常に求められる日常は
★★★『心身・脳にストレス過労を蓄積』する。
実は
このことが『頭が空っぽな状態で初めて繋がることができる
☆☆☆☆☆「インスピレーションソース」※(気の本源・真我)』
との出逢いを拒んでいる!
『それ』は
『無我夢中で★★★「思考・頭に気が偏る」ことのない
☆☆☆☆☆「我を忘れている、ZONE・フロー状態」』でも
☆☆☆『結果的に』
分泌している脳内分泌物質が
『三層の「全脳と全身のエネルギースポット」である
✡精宮(チャクラ)を統合』している!
ハート(胸)や肚(臍から3~6㎝下)を中心とした
7つの精宮の気が一つに合わされ(愛気)、
☆☆☆☆☆「自他の分離感が消えた意識(βエンドロフィン分泌)」
に覚醒している。
成功者と言われる人達の多くが、睡眠時間も少ない
超多忙な生活なのに早起きして、スポーツジムに通い、ランニングするのは、
これを通じて得られる『脳内快感物質の分泌が
「心身の疲れを取る」ことで』活力・
気が湧く※(ドーパミン分泌する)ことに「無意識で*紐づけ」
されてしまったから。
早起きして走ることで脳内麻薬分泌し、
気持ちよく働けるため、傍からみれば過活動(ドーパミン分泌)
としか言いようがないライフスタイルを貫徹し続けるようになる。
やがて
「過活動な生活が高い生産性や効率的な成果
★★★マインド思考の「目標達成を維持し続けられる
最適解」の生活スタイルに固定され、
★★★『快感で紐づけされた※「脳内麻薬(ドーパミン)中毒」』
となって生を終えていく。
過労で精神がヘトヘトになるまで
追い込んだ状態で
★★★★『限界を超えて走る努力」が気持ちよくなる
(βエンドロフィン分泌)」』ことと高揚感(ドーパミン分泌)は
違うのに。
この快感で得た
★★★★★「ハートに繋がる脳内物質の分泌(βエンドロフィン)
ではない」(livedoorブログ参照)
※別の脳内物質(ドーパミン)が紐づけた
超努力体験による成果を
やがて
一部成功者達の『エゴは成功体験として』
社員にも強要しようとする。
★★★★★『思考 ※限界突破を生じさせる
※「苦痛と無我夢中」になる楽しいを極める行為』で、
「脳内快感物質が分泌するのに✡必要なトリガー(引き金)が
★★★★★※『個々の心身バランスによって※「臨界点が異なる」』
ことを識らずに。
『それ』は
『個々の存在が観つける
☆☆☆☆☆「中庸バランス感覚」』だから
他人の限界突破を★★★『「方程式にしても」
絶対に導けない』※危険な道。
人によっては、過労死や鬱病自殺してしまう。
真の幸せで在る『至福、目覚めに出逢うには
肉体世界では※「両極の端の状態を体験する」ことで
※差を識り✡「結果的に、自己超越する」』しかない。
例えば 『灼熱でカラカラになるまで喉が乾いた
「苦しみを味わい」、
こんなにも「水が美味しく有り難い」もの』だと感じるように。
私達のマインド・エゴは『変化で
☆☆☆差を感じない限り』「健康で、衣食住が足りている」
★★★★『普通の状態が至極当たり前だと
★★★★★「頭で考え、さらに欲望肥大してしまう」から。
☆☆☆人間は、ハートから湧き上がってくる
感謝や祈りを忘れてしまう』脳構造の生き物。
だから
☆☆☆☆☆『人生最大の危機である「自らの死」に晒されたり、
感じて観る✡『AMS内観・言霊瞑想』(livedoorブログ参照)や
☆☆☆☆☆「自我限界に突き当たる」極限苦の
※「超努力」状態に遭遇した時、
※どちらも
★★★★★『「自分に」意識が向かない状態』に出逢う瞬間、
「幸・不幸、善・悪、良・否」という頭で考えていた
『二元思考価値を
☆☆☆超えた「人生の※本質・根源である愛」を識る』ことになる!
『それ』は
☆☆☆☆☆「中庸バランスを全脳・全精宮の
※命の気、本願がわかる」』ことでも在る!
『それ』は
あなたが苦行・超努力を「行わなくとも」
自分の※「好きを極めた」『無我夢中で「自分を忘れる行為と
共に在る瞬間」のZONE・フロー状態』でも遭遇する。
これが、AMSの無努力変容法則・TAOだ。
ゴーダマ仏陀は『極限の苦行の果てに、
☆☆☆☆☆「楽でも苦でもない中庸バランス」が
人生修行の集大成となる目覚め』だと悟った。
仏陀の道は『単に「幸せで楽になる」ためのものではない』。
悟りの境地に達する事ができれば、
あらゆる苦しみから離れ★★★「心地よい気持ちだけ」を
味わい続けられるわけではない』。
それは
肉体を持ち『「人・間として★★★在家の関係性の中で」
※生存し続ける限り不可能』だから。
ただ
人間・肉体世界が「幸・不幸の循環(無常)」によって時が流れ、
『頭の思いどおりならない世界だと「知り」、
☆☆☆☆☆「幸・不幸どちらもずっと続かない」ことを
全脳・センターで無意識と繋がる
愛気で✡「腑に落ちて識る」理解の瞬間』に『苦・輪廻を
観きれる』だけ。
『それ』が
『幸・不幸、苦・楽に☆☆☆☆☆「執着せず俯瞰して観る」
囚われのない意識・覚醒』、
✧✧✧✧✧『「何もしないをする」』永遠の大河に至る