クタバレ!専業主婦

仕事と子育て以外やってます。踊ったり、歌ったり、絵を描いたり、服を作ったり、文章を書いたりして生きています。

グレーを求めず、曖昧さを捨てる

2023-05-29 17:35:00 | エッセイ

今日はもう無理だと思った。身体がだるくて動かない…それなのに午後に対面式での英語の体験レッスンを入れていた。昨日オンラインの中国語の体験レッスンを受け、その後に復習とそこから寝るまで英語の勉強をした。頭の中では常に英語と中国語が交互に流れていて、飲食店での日本人同士の会話まで外国語に聞こえる。耳も脳も心も身体も疲労している。ボイストレーナー時代に悪くしていた左耳の不調も出ていた。

 

結果的に、行った。そして、行ってよかった。もし疲れた、辛い、という理由で今日というチャンスを逃していたら、私はまた他のことにも自暴自棄な態度をとっていただろう。今日は英語オンリーのレッスンだったので体力も気力も消費した。帰ってきて冷凍してあったミートソースをうどんにぶっかけてかき込み、立ったままバナナを食べて、急いで洗い物を済ませた。

 

その後、外国人に日本語を教えるボランティア2件に問い合わせをしてブログを書いている。これが終わったら夕飯の支度をして、身体をストレッチして、夫が帰ってくるまでできる限りの勉強や今後の生活のスケジュールを立てる。

 

言葉が通じないことはとても不安だ。私がもし外国へ行って勇気を振り絞ってその国の言葉で話しかけたとして、通じなかったり冷たくされたらどう感じるだろう?悲しいし、その人の態度がすごく嫌な態度だったら、その国に対するイメージまで下がってしまうかもしれない(私がセンシティブ過ぎる所為もある)。私の住んでいる地域でもたくさんの外国人を見かける。コロナが落ち着いてからは特に増えた。ほとんどの場合が自分達の仲間と群れているだけで、周りの日本人と関わる様子はない。

 

ある英語の先生が言っていたが、彼らが自分から日本人に話かけることは滅多にないらしい。日本人が英語が苦手であること、日本人があまりオープンではないことを知っているからだそうだ。そんな中でよく外国人に道や事を尋ねられる私は、もう運命なのだと思う。私は既にもう何度も呼ばれているのだ。そこに何があるかはわからないけれど、向かっていってみようと思う。自分も外国語を勉強しながら、自分の持っている言葉を人に伝えたい。日本という国で安心して楽しく生活して欲しい。そして、私がいつか外国へ行く時は、どこかの国の誰かが私と一緒に楽しく過ごしてくれることを期待している。そこで日本の言葉や歌を教えたい。お互いの国のことや食べ物を持ち合って、色んな国の言葉と音楽で、踊ったり笑ったりしたい。

 

そしてイエスかノーをはっきりと言いたい。日本人は曖昧さを好むけれど、英語を話すならはっきりとそれを言わなければいけないと言われた。先にイエスかノーを答えてから自分の説明をすること、答えないということは「興味がない・意見がない」とみなされる。聞かれて10秒以上返事がなければ会話がそこで終わる。何でもいいから声に出すことだと言われた。私はこの日本にいて極端な考え方を直した方がいいと散々言われてきたけれど、そもそもそれが私の性格にはどうしても合わない。自分の気持ちや考えがハッキリとあるのに、そこに対してわざわざグレーさを求めるってどういうこと!?と、不思議で仕方ない。その理由はただ一つ、そうしないと日本で生活するのがとても難しいからだ。だけど私はもうそれをしたくない。イエスかノー、シンプルに。

 

これを書いている間に返信があったので、明後日早速日本語ボランティアの会場へ足を運んでみたいと思います。理由はひとつ、“気になるから”です。

 

— 海鷂鳥 —