― Everything Evrywhere All at Once ―
あらゆることが… あらゆる場所で… すべて同時に起きる
好みか好みでないかで言えば好みではありません。
— マヒトゥ・ザ・ピーポー (@1__gezan__3) March 10, 2023
大好きなマヒトゥ・ザ・ピーポーが、この映画の感想をこうツイートしていた。
“好みか好みでないかで言えば好みではありません”
という部分を読んで、絶対に見なければいけないと思った。私はこれを彼なりの“おもしろかった”という意味だと解釈した。彼の真意はどちらでもいい。影響は自分で作っていく必要がある。私がこの映画を観てどう感じるのか?、それを知りくなった。
いつ行こうかと考えている間に「Everything Everywhere All at Once」は、本年度の「アカデミー賞」を受賞した。Yahoo映画の評価は現時点で「2.86」と「3」にも満たない。なるほど…好き嫌いが極端に別れそうな映画だ。ますます興味が湧いてくる。人がつまらないと言う作品をおもしろいと感じられた時、得した気持ちになる。相変わらず“損得勘定”が好きであるが、先入観に感性を引っ張られてしまっては意味がないので、映画のレビューは読まず、予告すら見ずに行ったでの、ジャンルすら不明であった。
今日の私はとても落ち込んでいた。音速でぶち上がっていたテンションは、排水溝のヘドロのように腐っていた。ワンピースの染色が、思った通りにいかず、染色と脱色を繰り返していた。口では「失敗してもいい」とか、「ぶち壊してやる」なんて言っておきながら、心のどこかで一発で成功する自信と期待があったので、文字通り落ち込んだ。「さすがに二回やれば成功するだろう」と再挑戦するも、おそらくその期待も空しく終わりそうだ。今、お陀仏状態のワンピースが洗濯機で回っている。
自分の中の炎が小さくなっていくのがわかった…。なんとか蘇生を試みたけれど、炎は少しずつ心拍を失い、最後にはプスリと煙を上がって消えてしまった。これではいけない…もう一度、自分に点火せねばと焦っていた。
買ったままで机の上に置きっぱなしにしてあった「デビルズトリック」を恐る恐る手に取る…。
これを使うと…ヤベーぐらい“飛べる”らしい。
「最悪な気分なんだろう?…嫌な事なんて忘れて一瞬で気持ちよくなれるぜ?…お前もやってみろよ。」
念のために言っておくが、危険ドラッグではない(笑)
これは一週間ほどで色が抜け落ちてしまうヘアカラートリートメントである。けれど、“相当にぶっ飛べる色”に染まるらしく、ブリーチしたら一度でいいからやってみたかった。私の“着火剤”として取っておいたのだ。しかもカラーは「ワイルドレッド」。市販のカラー剤やブリーチ剤はパッケージ通りに染まらないものが多いが、これは“ガッツリ決まった”。ややムラになってしまったけれど、一週間で抜けてしまうなら問題ない。抜けてしまうなら…ね。
なぜこんなにも色を入れること抜くことに拘っているのか自分でもわからないけれど、このまま流されていってみようと思う。失敗ばかりしているけれど、何もしないでモヤモヤしていた時期よりも、私はウキウキしながら落ち込んでいる。やってみて嫌ならもう二度とやらなければいいだけだし、「やれば私は出来るはず」なんてやりもせずに自信過剰になっているだけでは、現状の自分の出来ることと出来ないことの差がわからないままになってしまう。自分の人生に対する後悔の“タラレバ”があるのなら、やってみて思い知ればいいのだと思う。実はうまくいかない原因は、周りではなく自分にあったことを思い知るだろう…。私は、そこからスタートしてみたいのだ。
明日には夫が出張から帰ってくるので、やりたい放題やれるのも今日が最後だ。今日は少し散らかり過ぎてしまった心を鎮静させたいので、紅茶専門店に行って読書の続きをすることにした。
― おわかりただけただろうか? ―
さっき「デビルズトリック」でシャンクスみたいな色に着火したばかりなのに、今度は鎮静すると言い出した。色を入れたり抜いたり、火を点けたり消したり…どうしようもないぞ。私はこうして他人と自分とを振り回して生きてきたのかもしれない。続いている人間関係もあるが、終わっていった人間関係の方が圧倒的に多い。ここから始めていけばいいと思っている。
目的のお店がランチタイムを過ぎていたので、近くのモールへ行くことにした。が、なんだかつまらない…。そんなことはいつだってできるじゃないか?つい先ほど“鎮静する”と宣言した私はどこかへ去ってしまい、消したばかりのロウソクに別の誰かが火を点けた。
どうせモールへ行くなら…。
「Everything Everywhere All at Once」のことを、思い出した。もし調べてちょうどの上映時間だったら、もうこれは今日見るしかない。次の上映時刻は14:40、車の中の時刻は今14:05。決まった。
都会に行けば少々派手な格好をしていても霞んでしまうけれど、こんな田舎でこんな髪色をしているととっても目立つ…。ブリーチしてくれと美容師に頼んで、ブリーチされたら気絶しそうなほどショックだったように、ワイルドレッドにして点火した心が、人々の視線に鎮火しそうになっていた…。目立ちたいのか目立ちたくないのか自分でもよくわからない。私の心には常に同時に相反するいくつもの感情や状況が同時に大量に起きていて、正に「Everything Everywhere All at Once」なのである。
上映前に慌ててたこやきを食べる私の目の前で、おばさんがわざわざ足を止めて長い時間こちらに視線を向けているのを感じた。私は目を合わせないようにした。どんな理由でどんな気持ちでこちらを見ているのかはわからないけれど、見ていたのは私ではないかもしれないけれど、私はそれをマイナスにしか想像できなかった。それと同時に、本当に一週間でこの髪色が落ちるのか不安になってきた…。
『デビルズトリック 落ちない』
検索すると、落ちない情報がたくさん出てきた…。ひどい人は二週間、一ヶ月を過ぎても色が残ったりするらしい。きれいに色が残るならがまだいいが、ムラになって髪の一部に色が残ったら最悪だ…。なんだか気分が悪くなってきた。手っ取り早くたこやきと思ったけれど、そんなにお腹も空いてなかったし、青海苔のにおいが妙に気持ち悪い。全然おいしくない。もし色が残ったら…せっかく綺麗な金髪になったのに…。ワンピースの色も失敗した…せっかく白くて似合ってたのに…。映画まで時間がないのに、どうしてたこやきなんて買ったんだろう…食べなくてもよかったのに。どうしてこんな色にしたんだろう、変に見られるに決まってるのに…。自分では似合ってるつもりだけど、すれ違う人たちに変だとかブスだとか思われてるに決まってる…。なんだか気持ち悪い。でも急がないと…まだチケットも買ってないし、トレイも行きたいし、飲み物も買いしたし、とにかく急がないと急がないと…。
結局、最後の一つを残して返却口に置いて去った。歩く人たちを足早に追い抜いていく。上映時間に間に合わなくなる。なんだか吐き気が腹痛に変わってきた。下痢になりそうな気配。どうしよう…どうしよう…パニックに陥ってきた。このままでは逃げ出しそうだったので、慌てて先にチケットを買った。急いでトイレに駆け込むと、やはり下痢をしてしまい、頭の中はワンピースの染色に失敗したこと、派手な髪色にしたこと、たこやきのこと、映画の時間のことが竜巻のように私の冷静さを巻き上げていった。
しっかりと手を洗い、売店で氷なしのアイスティーを注文する。急いでいる時の店員の対応はとてもスローに感じる…。いつもなら「丁寧な接客ね」と評価するところが、「おい、一体何回確認するんだ?」という心の苛立ちに変わっていった。受け取ったアイスティーを手にしっかりと持って、チケットカウンターへと向かう。これまた受付スタッフがゆっくりと落ち着いた口調でチケットを確認し、「スクリーン6番です」と案内された。「6」の場所を目で探すと、“こういう時に限って!”の一番遠い一番奥のスクリーンであった。
急いで劇場へ入ると、薄暗い。もう本編が始まってしまっているのかと思いきや、まだ予告だった。ほっとして自分の席に向かって階段を上がる。席に着くと、予告、予告、予告、まだ予告、また予告…やっと、「NO MORE 映画どろぼう」である。
きっといつもこうなんだろうな…勝手に焦って勝手に追い込まれて勝手に不安になってる。今度は自責の念が湧いてくる。焦って急いだ所為で息が上がって呼吸が苦しい…。うまく息が吸えない気がする…。こうなるとパニック発作になるのでは?という「予期不安」に襲われる。私は整体で教えてもらったように背中を丸めてやや前かがみになり、背中に空気が入るように腹式呼吸の体制を取った。こういう時は“吸えていない”のではなく、“吐けていない”のだと、昨日教えてもらったばかりだったのだ。息をゆっくりとしっかりと吐き切る…そしてそこに息を入れていく。この時点で本編は始まっているのだが、もう全然集中できない。私は呼吸に集中している。おまけに早速意味不明なストーリーで、評価「2.86」の理由を即座に理解した。吸って…吐いて…吸って…吐いて…。
ダメだ、ここのところ滅多に飲まなくなっていた安定剤を飲もうか…。でも、安定剤なんて飲んで映画観て、意味ある?
あれを飲むと苦しくもなくなるけど、楽しくもなくなる。その通り「安定」してくれて、テンションはプラスにもマイナスにも振れず、ただぼーっとする。もう外に出ようかな…1900円も払ったけど。アイスティーSサイズなのに340円もしたけど。損するな…。がめつい。
ダメだ、腹痛い…また下痢になる。下痢だ、下痢。腹部に違和感を感じたと同時に、さきほどのたこやきの青海苔の気持ち悪いにおいを思い出して、胃がムカムカしてくる。なんで今日に限ってエコバッグ置いてきた?ゲロ袋になるものもないじゃん…。いや、吐かない。吐きはしない。それより下痢だ、トイレだ。
出せ!出すんだジョー!
でも…でも…途中で抜けたらもう絶対意味わからなくなる映画だ。ただでさえもう全然意味がわからん。スクリーンの前を通るのも気が引けるし…。なんとかこのまま映画に集中しようと再度試みたが、字幕が全然頭に入ってこない。もう便器のことしか考えられない。「肛門」に居留守を使ったが、無理だった…。
「奥さん!居るのわかってんだよ!居留守使ってんじゃねーよ!」
“ドア”をけたたましくノックされている…。
席を立ち階段を降りる。姿勢を低くしてスクリーンとの間を通り抜け、重い扉を開けて明るい光が差し込むと、7割ほど不安感が身体から抜けていった。幸いにもすぐ隣がトイレだったので、まず身体を楽にしてやらないと…。便器に座りながら用を足していると、だんだんと身体も心も落ち着いてきた。一旦冷静になってスマホでもう一度髪色のことを調べてみた。「デビルズトリック」の色落ちの検証動画を上げている方がいて、二週間もすれば髪色は元に戻ることがわかった。不安になると私はその不安を立証するために、不安な情報だけを集めてしまうのだ。そもそもあのおばさんとはしっかりと目が合ったのかい?こちらを見ている気配だけで、見ていたと決めつけていただけではないか。そして、ここへ来てから鏡を見ていない。家を出る前は気に入っていたのだから、今ここで見たって気に入っているはずだ。ワンピースだって悲しいなら一回ぐらい着てやればいい。こんな髪色にする勇気があるのなら、あのワンピースを着て歩くことぐらい平気なはずだろう。
トイレから出て手を洗う。恐る恐る…鏡を見た。派手だけど…素敵な色をしていた。
このことを記事にしたいな。このまま帰ろうかかな。でも、座席にアイスティーを置いてきたままだ。どうして諦めるつもりで出てきたのに、置いてきたんだろう…。けれど、この置いてきたアイスティーには意味があった。
私は一旦、劇場へ戻った。15分ぐらい見逃してしまったな。もういいや。最初から意味不明だったし、身体も心も落ち着いたからアイスティーを飲みながらこのままちょっと休憩しよう。とてもリラックスしている。ゆっくりとシートに身体を預けた。その瞬間だった…
― 「正しさ」とは、臆病な人間が考えた小箱だ ―
スクリーンの字幕が目に飛び込んできた…。
あ…そうか…意味にしようとするからわからないつまらないと感じてしまっていたのか!たった一行のセリフが胸に入ってくるだけでいい。衣装やメイクに注目してもいいし、シーンから他の事を連想してしまってもいいのだ。そうわかった途端にこの映画の中にぐっと入り込めた。数分前の私はどこへやら…ギャグのシーンに小さくクスッと笑っている。本当に自分がわからない。そして意味不明な映画で、意味不明に涙して、それは感動とは違っていた。肯定だった。
この映画はSF映画だと思っていたけれど、私には精神世界の映画に思えた。だからこんなにも散らかっていて、タイムリープのようなパラレルワールドのようなマルチバースな展開が続き、イメージやストーリーを連続・関係させていると言うよりはコラージュに近い感じがした。意味は分からなくていい=どんな解釈をしてもいいということだ。もし、意味やストーリーがハッキリと決まっている映画であれば、作り手の言わんとしていることがほとんど決定されてしまうけど、こういう映画は捉え方が無限にある。うまく考察する人もいるだろうが、私はニュアンスで感じ取っていければいいと思った。諦めたつもりで見続けた映画で、諦めた瞬間から作品を通じて自分を肯定することができた。
人は意味を理解しようとする。意味が分からないものは意味がない、という価値観を持っている。自分で意味を見出すことに意味があるのに、簡単にわからないものに対して低い評価をする。だからYahoo映画の評価が「2.86」なのだと思う。最高だ、私はこの映画をもう一度観たい思える。
私は今まで自分の中のストレスがマックスに達する前に、それを回避する方法ばかりを取ってきた。けれど、もう一人の私はそれを自分で乗り越えたいと願っているのだ。だからわざとストレスを感じるような行動をとったり、思考したりして、そうじゃないことを私にわからせようとしてくれている。その先に新しいことがまだまだ出来るはずだと教えてくれているのだ。ストレスに身を委ねるのは苦しいけれど、そのストレスが不要なものであるとわかれば、今度は自然と力が抜けていってリラックスしてくる。もう同じことを辛いとは感じなくなるし、「前は大丈夫だった」というプラスの思考が働き始める。諦めた瞬間に身体がやわらかくなって、心が開いて、そこに新しい風が入るための余白がうまれる。
ワンピース、失敗してよかった。終わった…って思うまで挑戦できたし、今回学んだことはきっと別の何かを作る時に生かされると思う。髪色もできれば早く金髪に戻って欲しいけど、一度試してみたかったからしばらくこの色を楽しもうと思う。映画を最後まで見れたことも、昨日眉毛を全部剃り落したことも、すべてよしとする。
おっと…もうひとつ映画で気に入ったセリフがあった。
― おかしなことをすると力がわいてくる ―
海鷂鳥