・ぼたもち
お彼岸は仏教の教えでご先祖様を供養し、牡丹餅(おはぎ)を仏前に備えたり、近所に配ったりして感謝の気持ちを表わします。
小豆で作られることが多いのですが、あずきの赤色には、古くから呪術(じゅじゅつ)的に魔除けとし季節の変わり目に、そして祝いの席で出されることが多く災難が身に降りかからないようにするおまじないの効果があると信じられ邪気を払う食べ物としての信仰が、先祖の供養と結びついたと言われています。
最近では、牡丹餅もお萩も同じように用いていますが、名前があるからには、語源として存在するものがあるのではないかと思い調べてみました。
数多くの諸説がありました。一般には、ぼたもちは、牡丹の花からイメージした漉し餡といわれ、おはぎは、萩の小さく咲く花から粒餡を使うといわれます。しかし、牡丹餅の言い方は近年では少なくなって粒餡も漉し餡もどちらも「おはぎ」という言い方が一般的傾向のようです。
諸説として
『和漢三才図会』は、江戸時代中期、正徳3年(1713年)頃の挿絵入り百科事典として知られています。
その中で「牡丹餅および萩の花は形、色をもってこれを名づく」とあり、 大きさも花の大きさと同様に大きいのが「ぼたもち」で、小さいのが「おはぎ」となります。
風情を盛り込み春夏秋冬で違う呼び名や作り方をして季節の花、風情にあわせた名前なのです。今は、殆ど使われなくなりましたが夏は「夜舟」、冬は「北窓」といわれました。
食べる時期によって「 牡丹の咲く頃に作られる餅が、ぼたもちで、萩のさく頃に作られ萩を丁寧に言っておはぎになったというのです。おはぎは宮中奉仕の女官が用いた女房詞(にょうぼうことば)に由来するという説があります。
まわりにアンをまぶしたものをぼたもち、黄な粉をまぶしたものをおはぎということもあるようです。
「ぼたもち」は、ぼたぼたした餅、二等品以下の粗悪米といわれる「ぼた米」を使って作られていたといいます。
もともと家庭の手作りで作るときに、すり鉢で荒くつぶして作られ、餅のようにペッタン、ペッタンと音がしないので「隣知らず」「奉加帳(ほうかちょう:神仏に寄進)」「夜舟:いつのまに着くともしれない」「北の窓:月知らず」の隠語としてもいわれていました。
江戸末期になると、小豆の餡は、つぶし餡から漉し餡、黒胡麻、ウグイス豆、インゲン豆、黄な粉と5色ものおはぎ(ぼたもち)が作られるようになりました。さらに胡麻萩は黄な粉に黒胡麻を混ぜて作られています。
ご愛読戴きましてありがとうございます。よりよい情報をお届けしてまいります。