第3話 「見えない命綱」
震災から数か月が経ち、少しずつ仮設住宅に移り住む人が出てきている中で、避難所のリーダーであり小学校の校長先生(内場勝則)が、気になる人がいると精神科医・安和隆(柄本佑)に相談。
その女性・片岡心愛(清水くるみ)は、急性アルコール中毒で数か月前に病院に運ばれていたのに、アンケート用紙の飲酒の欄では「飲まない」に○。
倒れて、起きたら急に口調が荒くなっていたりなどしていて、よくよく話を聞くと、
母親は小学校に上がる前に死に、父親は酒を飲んでは怒鳴るような家庭環境で、万引きをして食料を調達していたとのこと
その話を聞いた安先生は、帰宅するものの疲れ果てて布団に倒れ込みながら
「なぁ、終子。生きてるだけで悲しいことたくさんあんのに、何でわざわざ人が人に悲しいことするんやろか?」と話して眠りに落ち・・・
安先生の言葉が、本当に実感がこもっていて、グッときました
翌日、安先生は片岡に多重人格であることを告げて、
「例えばあまりに辛い目に遭うた時、子供はこれは自分の身に起きたことやないと感じる。今苦しんでるのは別の子や、と。その子の中に、痛い思いを引き受けてくれる人格が生まれるんやね。そうやって苦痛をやり過ごした子は、その後も複数の人格を生み出しながら生きていくことになってしまうんや」と説明するものの、
避難所の人たちと上手くいかず、行く当てもなく避難所を出ることにした片岡。
「こんな病気になったんは、私が弱いからですよね?」と片岡が尋ねると、
「違うよ!とても耐えられへんような苦しさと悲しさの中で、それでも生き延びる方法を見つけようとしたんや。生きる力が強いんや」と声を掛けるが、片岡は頭を下げて出ていき・・・
苦悩の表情を浮かべていると、校長先生が安先生に「行かせてええの?」と尋ねるものの、
「そやけど、強制はできませんから…」と・・・
多重人格って、こういうことで生まれることがあるのですね。。。
子供の時に、自分ではどうすることもできない状況に追い込まれた時に生きるためにしたことが、大人になって別の形で苦しめる・・・
そして、本人が治そうという意志がなければ、医者としては先走ってやってあげることができないという、安先生のもどかしさも強く伝わって、観ていて辛かったです。
その時期、校長先生は仮設住宅に入居できていて、隣人が自分の赤ちゃんが泣いて迷惑を掛けていると謝りに来ると
「心配せんでも大丈夫ですよ。地震の後で夜泣きがひどなったいう赤ちゃんは多いらしいですよ。知り合いの精神科医が言うてました。(赤ちゃんに)地震、怖かったなぁ。もう大丈夫やで」
と声を掛ける余裕がありましたが・・・。
そこから時が進み、1996年1月、安先生には2番目の子供が生まれ、
新聞の連載は最終回になり、
「人間は傷つきやすい。今後日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか」
片岡は新聞を買って安先生の連載を読んでいたのですね。
片岡が、自分から安先生の元を訪ねて、どうにか治したいと思うようになって良かったです!
安先生が片岡に「何かあなたの支えになるもの、見つけてほしいんや。案外ささやかなもんが生きる力くれるんやで」と話すと、
逆に片岡は安先生の趣味のことを尋ね「(ジャズピアノは)クラシックピアノって、楽譜に書かれた通りに弾かなあかんねんけど、これね、ジャズちゃうねん。自分だけの思いつき試してもええし、人と違う演奏したって怒られるどころか、自分の個性として認めてもらえんねん。僕はジャズ弾いてる時、一番自分出せる気がする」と話し・・・
私はクラシックピアノしかやっていないので、その息苦しさよく分かる!!と思いながら聞いていました
厳しい先生に習っていて、先生に言われる通りにしか弾いていなかったなぁ・・・
大人になってから「こういう風な弾き方もあるんだ」と思っていました。
安先生は、大学生の時にとても楽しそうに弾いていましたよね。
また親友・湯浅浩二(濱田岳)らとセッションする姿を観たいのですが、予告編では・・・
あのピアノの映像が気になります
片岡は安先生の診察を受けるようになりましたが、校長先生の方が表情が固くなっていて、安先生が「何かご心配なことがありますか?」と声を掛けても上の空。
「僕に話したくなかったら、誰か信頼できる別の人に話してくださいね」と話しますが・・・
妻は震災で亡くなり、娘に電話を掛けて「(米が無くなってふと)このまま死んでもええかな」と思ったと話すと、「地震からもうすぐ2年経つんよ。そろそろ元気にならんと」と言われ・・・。
再び米びつに米が無くなり、ふとカミソリに目をやっていると、窓を叩く音が。
隣人が「イカナゴ炊いたんです、ちょっとですけどお裾分け」と言ってタッパを置いていくと、校長先生は涙を落としながら「米、買いに行こ…」と呟いて・・・
2年前は追い詰められていた隣人が校長先生に助けられていましたが、今度は校長先生が隣人に助けられて
何気ない言葉でも救われることがあるのですね。
私、スーパーとか町を歩いているとよく見知らぬ人に話しかけられることがあるのですが(笑)、これからも優しく対応しないといけないな・・・と思いました。
安先生の新聞の連載が本になり、その本が「フロンティア学芸賞」をもらうことに。
安先生が実感がないのと震災のことを書いて申し訳ないと話すと、永野先生から
「突然襲いかかった災害に、君が手持ちの武器だけでどう立ち向かったのか、それがこの本に書いてある。本の中に、人の苦しみに精一杯耳を傾けている君がいる。ええ本や」と嬉しそうに本を持ちながら話してくれて、
病床の父・哲圭(石橋凌)も本を手に入れて読んでいて、受賞を喜んでいましたね。
「作家になるいう夢、叶ったんやな」と言って、賞状を満足げに見て、自分の写った写真立てを伏せて、棚の真ん中に安先生の賞状を置いて、
「上野の闇市で働いてた時な、韓国人がでかい顔しやがってて言われてな。それが悔しゅうて…悔しゅうて。在日は普通の就職すんのが難しい。それやったら自分で会社興したらええ、でっかい仕事して社会に貢献したろうやないかい、そう思て休む間もなく働いて…やっと成功した思たら、全部なくしてしもた。情けないわ」と話して、安先生に涙を見せないように背を向けて、「堪忍やで」と言って・・・
長男と次男には安定した仕事と地位を願って厳しく接していたものの、安先生が小説家になりたいという夢を持っていたことはちゃんと知っていて、
安先生は自分の反対を押しのけて精神科医になったものの、活躍している安先生のことを口には出さないけど誇りに思って嬉しく思っていたのでしょうね。
安先生も、お父さんのことを苦手に思っていたけど、お父さんの真意を知って、
「僕な昔、自立せえって言われんの、辛かったんや。何や、自分一人で生きていけって見放された気がしてな。一生懸命働いて、せやけど上手くいかへんかった、それを僕は情けないとは思わへんよ」と声を掛けて帰っていき、
お父さんは亡くなるものの、弟・壮介(上川周作)から、お父さんが亡くなるまで毎日「フロンティア学芸賞」の賞状を嬉しそうに読んでいたことを聞き、
兄・智明(森山直太朗)からは「和隆ほど世の中の役に立ってるヤツもおらんで」と言われて・・・
10代の時に苦しんで辛くてどうしようもないことがあっても、大人になるとそのことが理解できたり、気持ちが楽になることってありますよね・・・。
2000年3月になり、安先生はかつての同僚・北林史也(浅香航大)を呼び出し、自分が新しく働く病院へ連れだし
「僕な、心のケアって何やろってずっと考えてるんやけど、もしかしたら一人一人が尊重される社会を作るていうことちゃうかな思て。まぁ、それをやりたいんや」と話して、
北林が今働いている病院で上手くいっていないことから「良かったら、ここで一緒に働かへん?」と声を掛けていましたね。
安先生が、理想の実現のためにどう動いていくのか・・・?
安先生のモデルとなった方のその後を知ってしまっているので、観るのに勇気がいりそうです・・・
←web拍手です。
※これまでの感想
第1話+第2話
※公式HP(こちら)
震災から数か月が経ち、少しずつ仮設住宅に移り住む人が出てきている中で、避難所のリーダーであり小学校の校長先生(内場勝則)が、気になる人がいると精神科医・安和隆(柄本佑)に相談。
その女性・片岡心愛(清水くるみ)は、急性アルコール中毒で数か月前に病院に運ばれていたのに、アンケート用紙の飲酒の欄では「飲まない」に○。
倒れて、起きたら急に口調が荒くなっていたりなどしていて、よくよく話を聞くと、
母親は小学校に上がる前に死に、父親は酒を飲んでは怒鳴るような家庭環境で、万引きをして食料を調達していたとのこと

その話を聞いた安先生は、帰宅するものの疲れ果てて布団に倒れ込みながら
「なぁ、終子。生きてるだけで悲しいことたくさんあんのに、何でわざわざ人が人に悲しいことするんやろか?」と話して眠りに落ち・・・
安先生の言葉が、本当に実感がこもっていて、グッときました

翌日、安先生は片岡に多重人格であることを告げて、
「例えばあまりに辛い目に遭うた時、子供はこれは自分の身に起きたことやないと感じる。今苦しんでるのは別の子や、と。その子の中に、痛い思いを引き受けてくれる人格が生まれるんやね。そうやって苦痛をやり過ごした子は、その後も複数の人格を生み出しながら生きていくことになってしまうんや」と説明するものの、
避難所の人たちと上手くいかず、行く当てもなく避難所を出ることにした片岡。
「こんな病気になったんは、私が弱いからですよね?」と片岡が尋ねると、
「違うよ!とても耐えられへんような苦しさと悲しさの中で、それでも生き延びる方法を見つけようとしたんや。生きる力が強いんや」と声を掛けるが、片岡は頭を下げて出ていき・・・
苦悩の表情を浮かべていると、校長先生が安先生に「行かせてええの?」と尋ねるものの、
「そやけど、強制はできませんから…」と・・・
多重人格って、こういうことで生まれることがあるのですね。。。
子供の時に、自分ではどうすることもできない状況に追い込まれた時に生きるためにしたことが、大人になって別の形で苦しめる・・・
そして、本人が治そうという意志がなければ、医者としては先走ってやってあげることができないという、安先生のもどかしさも強く伝わって、観ていて辛かったです。
その時期、校長先生は仮設住宅に入居できていて、隣人が自分の赤ちゃんが泣いて迷惑を掛けていると謝りに来ると
「心配せんでも大丈夫ですよ。地震の後で夜泣きがひどなったいう赤ちゃんは多いらしいですよ。知り合いの精神科医が言うてました。(赤ちゃんに)地震、怖かったなぁ。もう大丈夫やで」
と声を掛ける余裕がありましたが・・・。
そこから時が進み、1996年1月、安先生には2番目の子供が生まれ、
新聞の連載は最終回になり、
「人間は傷つきやすい。今後日本の社会は、この人間の傷つきやすさをどう受け入れていくのだろうか。傷ついた人が心を癒すことのできる社会を選ぶのか、それとも傷ついた人を切り捨てていく厳しい社会を選ぶのか」
片岡は新聞を買って安先生の連載を読んでいたのですね。
片岡が、自分から安先生の元を訪ねて、どうにか治したいと思うようになって良かったです!
安先生が片岡に「何かあなたの支えになるもの、見つけてほしいんや。案外ささやかなもんが生きる力くれるんやで」と話すと、
逆に片岡は安先生の趣味のことを尋ね「(ジャズピアノは)クラシックピアノって、楽譜に書かれた通りに弾かなあかんねんけど、これね、ジャズちゃうねん。自分だけの思いつき試してもええし、人と違う演奏したって怒られるどころか、自分の個性として認めてもらえんねん。僕はジャズ弾いてる時、一番自分出せる気がする」と話し・・・
私はクラシックピアノしかやっていないので、その息苦しさよく分かる!!と思いながら聞いていました

厳しい先生に習っていて、先生に言われる通りにしか弾いていなかったなぁ・・・
大人になってから「こういう風な弾き方もあるんだ」と思っていました。
安先生は、大学生の時にとても楽しそうに弾いていましたよね。
また親友・湯浅浩二(濱田岳)らとセッションする姿を観たいのですが、予告編では・・・
あのピアノの映像が気になります

片岡は安先生の診察を受けるようになりましたが、校長先生の方が表情が固くなっていて、安先生が「何かご心配なことがありますか?」と声を掛けても上の空。
「僕に話したくなかったら、誰か信頼できる別の人に話してくださいね」と話しますが・・・
妻は震災で亡くなり、娘に電話を掛けて「(米が無くなってふと)このまま死んでもええかな」と思ったと話すと、「地震からもうすぐ2年経つんよ。そろそろ元気にならんと」と言われ・・・。
再び米びつに米が無くなり、ふとカミソリに目をやっていると、窓を叩く音が。
隣人が「イカナゴ炊いたんです、ちょっとですけどお裾分け」と言ってタッパを置いていくと、校長先生は涙を落としながら「米、買いに行こ…」と呟いて・・・
2年前は追い詰められていた隣人が校長先生に助けられていましたが、今度は校長先生が隣人に助けられて

何気ない言葉でも救われることがあるのですね。
私、スーパーとか町を歩いているとよく見知らぬ人に話しかけられることがあるのですが(笑)、これからも優しく対応しないといけないな・・・と思いました。
安先生の新聞の連載が本になり、その本が「フロンティア学芸賞」をもらうことに。
安先生が実感がないのと震災のことを書いて申し訳ないと話すと、永野先生から
「突然襲いかかった災害に、君が手持ちの武器だけでどう立ち向かったのか、それがこの本に書いてある。本の中に、人の苦しみに精一杯耳を傾けている君がいる。ええ本や」と嬉しそうに本を持ちながら話してくれて、
病床の父・哲圭(石橋凌)も本を手に入れて読んでいて、受賞を喜んでいましたね。
「作家になるいう夢、叶ったんやな」と言って、賞状を満足げに見て、自分の写った写真立てを伏せて、棚の真ん中に安先生の賞状を置いて、
「上野の闇市で働いてた時な、韓国人がでかい顔しやがってて言われてな。それが悔しゅうて…悔しゅうて。在日は普通の就職すんのが難しい。それやったら自分で会社興したらええ、でっかい仕事して社会に貢献したろうやないかい、そう思て休む間もなく働いて…やっと成功した思たら、全部なくしてしもた。情けないわ」と話して、安先生に涙を見せないように背を向けて、「堪忍やで」と言って・・・

長男と次男には安定した仕事と地位を願って厳しく接していたものの、安先生が小説家になりたいという夢を持っていたことはちゃんと知っていて、
安先生は自分の反対を押しのけて精神科医になったものの、活躍している安先生のことを口には出さないけど誇りに思って嬉しく思っていたのでしょうね。
安先生も、お父さんのことを苦手に思っていたけど、お父さんの真意を知って、
「僕な昔、自立せえって言われんの、辛かったんや。何や、自分一人で生きていけって見放された気がしてな。一生懸命働いて、せやけど上手くいかへんかった、それを僕は情けないとは思わへんよ」と声を掛けて帰っていき、
お父さんは亡くなるものの、弟・壮介(上川周作)から、お父さんが亡くなるまで毎日「フロンティア学芸賞」の賞状を嬉しそうに読んでいたことを聞き、
兄・智明(森山直太朗)からは「和隆ほど世の中の役に立ってるヤツもおらんで」と言われて・・・
10代の時に苦しんで辛くてどうしようもないことがあっても、大人になるとそのことが理解できたり、気持ちが楽になることってありますよね・・・。
2000年3月になり、安先生はかつての同僚・北林史也(浅香航大)を呼び出し、自分が新しく働く病院へ連れだし
「僕な、心のケアって何やろってずっと考えてるんやけど、もしかしたら一人一人が尊重される社会を作るていうことちゃうかな思て。まぁ、それをやりたいんや」と話して、
北林が今働いている病院で上手くいっていないことから「良かったら、ここで一緒に働かへん?」と声を掛けていましたね。
安先生が、理想の実現のためにどう動いていくのか・・・?
安先生のモデルとなった方のその後を知ってしまっているので、観るのに勇気がいりそうです・・・
※これまでの感想
第1話+第2話
※公式HP(こちら)
>今回は最初っから最後まで和隆の言葉がしみて泣いてばかりいました
分かります(涙)
静かな語りの中でとてもいい言葉を話しているし、各人の苦悩もたくさん画面に現れているので、ブログを書き残したい!と思うけど、書くのにも勇気がいるというか、ササッと書くことはできないですよね。
本当に素晴らしいドラマです。
濱田岳君、癒されますよね。
高校時代の公園でのシーン(在日であることを告白するシーン)も、本当に良かったです。
あと1時間半で最終回…しっかり見届けたいと思います!
私も安先生のこと調べたんで見るの辛いです。
今回は最初っから最後まで和隆の言葉がしみて
泣いてばかりいました(笑
片岡さんが自分から診察を受けにきてくれて
本当に良かった。
そしてイカナゴをもらって校長先生が生きる気力を取り戻した場面も。
いや~柄本佑さん、すばらしいですよね。
そして濱田岳君がでると癒される~
このドラマ、みるのなんか決心がいるというか・・で、見るの遅くなっちゃうんですが、見始めると惹きこまれちゃうんですよね。