emitanの心にうつりゆくもの

日常のこと、テレビドラマのことなどを中心に・・・

心の傷を癒すということ 第2話まで観ています

2020-01-30 16:08:53 | 2020冬ドラマ
第1話 「神戸、青春の街」
第2話 「僕たちの仕事」

2話ともほぼリアルタイムで観ていたのですが、とても濃い内容だったのでツイートすらできず、ただただ頭の中で色々と考えさせられました。
今も何から書けばいいのか分からないのですけどね。

25年前の4月、札幌の大学生だった私は神戸に行って、一日だけボランティアに参加したことがあります・・・。
震災が起こる前から神戸で全国の大学生が集まる合宿が行われることが決まっていたのですが、大震災が起き、合宿が中止になるかもという話もあって二転三転したのですが、こういう時こそ神戸でやろうということで、内容を大幅に変更して、合宿のうち丸一日をボランティア活動に当てるということになりました。
私の大学からは4人(男子3人、女子1人)が参加して、関空から電車を乗り継いで行き、東海道線は元気よくグイグイ走るのですが、神戸市内に入るにつれて震災から3か月経っても崩れた建物が延々と広がっているというギャップに、4人とも言葉を失い、「この景色を目に焼き付けて忘れてはいけない。帰ったら伝えないといけない」と強く思いながら電車に乗っていたことを、今でも思い出します。
全国の大学生が集まっていたので、阪神地域の大学生もいて、震災からこれまでのことを聞いたり、家族が亡くなった人の話を聞く機会もあったのですが、私はどう声を掛けたらいいのか分からないこともしばしば。
ボランティア活動は、男子大学生は力仕事の人海戦術で需要はあったのですが、女性は1日ではほとんどできることがなく、私は避難所の運営の人たちがかかえる雑用を一緒にこなすということをしました。
夜中に、車で来ていた神戸の人が誘ってくれて六甲山を車で上ってくれたのですが、「震災前は光がもっとすごくて綺麗だったんだよ」と話していたのが今でも記憶に残っています。

ボランティア活動を1日しかできなかったことにとても罪悪感を感じていたのですが、帰宅後しばらくしてボランティアセンターからお礼の手紙が来て、その後数年に渡って復興の様子を知らせるプリントを送ってくださって、少しのことしかできなかったのにこんなにまでしてくださってと、感動と申し訳なさの両方を強く感じたり。
ドラマでも触れていましたが、戦後初めて大都市直下型地震だったことで、大規模災害でのボランティア活動のノウハウが誰にもなくて、被災地のみなさんと運営のみなさんはとても大変だったと思います。
私が行ったのは、地震から3か月位経った時なので、その時には「1日だけ参加できる人」「複数日参加できる人」「男」「女」とで仕事が振り分けられるようになっていました。
それでも運営の人たちはとても忙しそうでした・・・。
色々なものが山積みになった事務局、おつかいで瓦礫の残る町の中を歩いたこと、己の力が微力だと何度も感じたこと・・・
ドラマを観ていて それらを思い出したので、書き残しました。
失礼しました。
_______________

さて、ドラマのことを書きます。

「例えば病気になること。例えば人が死ぬこと。戦争も貧困も災害もそうや。
 この世界は、人の心を傷つけるもんで溢れてる。
 人の苦しみをさっとぬぐい去ることができたら、どんなにええやろうと思う。
 でも、それはでけへん。神様とちゃうから。
 人間にはでけへん。ほとんど何も。
 それでも、僕にできることは何やろう?」

最初のナレーションで安和隆(柄本佑)が話していましたが、このドラマは安先生の素直な気持ちが随所で語られていて、精神科医でも心が弱い部分があることや判断を間違ってしまうこともあることなどが、優しい口調で人間に寄り添って語られているので、とても魅了されます。

話は、安先生が10歳の時の1970年から始まりますが、自分が在日韓国人だと知り、今まで「安田」で過ごしていたが実際の苗字は「安」で、本当の自分は何なのか高校生になっても葛藤する姿が描かれていました。
在日ということで、日本人からは色眼鏡で見られ、韓国に行っても冷遇されると聞かされて、モヤモヤして親友・湯浅浩二(濱田岳)に打ち明けるけど、湯浅はあっさり受け入れてくれて。
私も今まで在日○世の人が同級生や先輩にいたけど、私は気にならないので在日の人やハーフの人をあれこれ言う人の気持ちがよく分からないのですが、残念ながら今もそういう人がいますからね。。。
そんな安先生が、自分の苗字のことを紹介するのに「不安の『安』です」から「安心の『安』です」と変わっていく様子が丁寧に描かれていて、「安心の『安』です」と言った時には思わずテレビに向かって「おっ!!」と喜んでしまいました

親友・湯浅は、父親が医者なので自分も後に続こうとするものの、高校生の時にスランプに。
そんな時、愛読書にしていた精神医学の権威・永野良夫(近藤正臣)の本の中の文章を紹介して
「理由がいっぱいあんのは、ないのと同じやって。どれも決定的な理由やないから、いっぱい並べるんやって。自分を納得させるために」
と言って本当は諦めたくないのではないかと声を掛けたシーンがありましたが、その言葉が第2話で安先生自身にも刺さっていましたね。
私も覚えておきたい言葉だな、と思いました。

医学生になって、永野先生、そして終子(尾野真千子)と、素敵な出会いがたくさんあったようですね。
永野先生の「私の考えでは、精神病患者の特性は、わずかな兆しを読み取る能力が長けているということです。その彼らの美点を損なわないようにすること」と言う言葉は、なるほどな~と思いましたし、
安先生が終子に「子供の頃見てた世界って、もっとまぶしくなかったですか?」と話した時に、終子が「そうですね。でも、また明るくなる日もあるんちゃうかと思ってます」という言葉は、とても素敵だな~と思いました。

父・哲圭(石橋凌)には反対されるものの、精神科医になることを決意。
「僕は、世の中の役に立つために仕事をしようとは思いません。ただ、心が知りたいだけなんです。人間の心が僕には何より大事で不思議で興味深いものに思えるんです。それだけで精神科に進むのは間違いでしょうか?」と永野先生に尋ねると、
永野先生は「それでいいんじゃないの?君がどんな精神科医になるのか楽しみだ」と答えてくれましたね。
いつか父親にも分かってもらえる日は来るのでしょうか・・・。

終子と結婚し、1993年に春子が生まれ、
1995年1月の安先生は、34歳で医局長。
優秀で、難しい患者が全国から回されてくるほどだったが、阪神淡路大震災が起こり、安先生自身も受け止めきれなかったようで、永野先生に
「頭では分かってるんです。僕はここでじっとして、病棟の患者さんに何かあった時のために対応するのが仕事やって。そやけど、申し訳なくてたまらんのです。建物の下敷きになっている人たちを助けにも行かんと、こうやってただ座ってるのが苦しいんです…」
と話す姿に、とても胸が締め付けられました。

そんな中、新聞記者・谷村英人(趙珉和)から被災地の状況を内側から発信してもらいたいとお願いされ、「被災地のことを文章にするのは不謹慎に思えて」と断るが、ふと「理由がいっぱいあるのはないのと同じか」と永野先生の言葉を思い出して、新聞にコラムを書くことに。

避難所に行って、被災民に心のケアをしたいと避難所のリーダーに申し出て、「ここの避難所を何とか維持するのに精一杯なんですわ。人の心のことまで気にしてられへん」と言われるものの、
「僕にもまだハッキリとは分かりません。精神科医にとっても初めての事態で、ノウハウがないんです。ただ、人間は体と同じように心も傷つきます。この震災で、たくさんの人の心が傷ついていることは確かです」と言って、手探りで被災民に話しかけることから始めますが、
まだ「心のケア」というものが重要視されていなくて、神経科や精神科という名前に色眼鏡のある時代でしたよね、25年前は。
そんな中で、被災民に根掘り葉掘り聞かないで自然に話しかけてくるのを待つ姿が、凄いなぁと思いました。

小学生の男の子は、安の部屋を何度も覗きに来て、少しずつ打ち解けてきた時に、
「言いたいこと我慢して飲み込んでしもたら、ここ(心)あとで苦しくなんで。弱いってええことやで。弱いから他の人の弱いとこが分かって、助け合える。おっちゃんも弱いとこあるけど、全然恥ずかしいと思てへん」と声を掛けると、
祖父が見つからないこと、揺れてる気がすることなどを少しずつ話し始めてくれて。
震災ごっこをしている小学生を大人たちが怒ると、
「地震のショックがあまりにも大きくて、子供たちも受け止めきれてへんのです。こうやって地震ごっこをすることで、何とか気持ちの整理をつけようとしてるんやと思います」と解説してあげて、
それを聞いた大人たちは子供たちの遊ぶ場所を確保して、キックベースをしてあげて。
家族を失って泣き崩れる男性の写真を撮ったことに最悪感を感じる谷村には
「谷村さんの仕事には大きな意味があると、僕は思います。こんなひどい地震もいつか忘れられそうになる。そんな時、谷村さんの写真や記事が思い出させてくれるんやと思う。信じられへんような地震があったこと、たくさんの命が奪われたこと、その一つ一つがこんなに大事なものやったこと。谷村さんとの仕事やから、僕は書いてるんです」と声を掛けて。
・・・どんなことでも前向きに捉えて話してくれる安先生の一つ一つの言葉に、感嘆しながら観ていました。

そんな安先生でも、終子には判断を失敗してしまって・・・
神戸にいたら生活が大変だからと大阪の実家へ行かせるものの、終子は大阪の人たちとの気持ちの差に傷つき、公園では「(神戸の人は)罰当たったんやと思うわ」と言われ、睡眠不足と食欲不振でダウン
「ごめん。余震が心配で大阪行きを勧めたけど、一番は自分のためやった。僕が安心したくて勧めたんやと思うわ」
「辛かったなぁ。それ言うた人、きっと怖いんやと思うわ。神戸の人らは、悪いことをしたから震災に遭うた。私らは何もしてへんから大丈夫。そう思わな、怖あてしょうがないやろな。終子、一緒に帰ろうか」
と、「罰当たったんやと思うわ」なんて酷いことを言ったオバチャンに対しても冷静に分析
そういう見方もあるのだな~と驚かされました。

「人の心を癒すのは、医者やない。医者にできるのは、回復しようとする人のそばに寄り添うだけや。」
第2話の最後のナレーションに、とても説得力がありました。

残り2話も、しっかり観続けます。
←web拍手です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 病室で念仏を唱えないでくだ... | トップ | 冬ドラマ 序盤戦 雑感 »

コメントを投稿