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無自覚の罪について

2022年09月01日 16時09分07秒 | ひとりごと
無自覚の罪について

1年ぶりに友田先生の講演記録を読んでいた。
すると懐かしい文面に出会った。
それは「無自覚の罪」あるいは「無自覚の暴力」について書かれた文章。
全文を引用すると長くなるので、かいつまんで載せることにした。

とあるワークショップでのこと、友田世話人(今流に言うとファシリテーター)に向けてA子さんが話し始めた。恐る恐るというか、余程の決心をしてというか、とにかくやっと口を開いたという感じで話し始めた。するとものの数分もしないうちに、さっとA男さんがこの話を奪い取って、自分の話をし始めた。放っといたら、いつ果てるともつかないくらいに話し出した。
タイミングをみて友田が言った。「A男さん、あなた今、とんでもないことをしているのを知っていますか?」と。
「あなた今、一人突き飛ばしているんだ!突き飛ばされた方、痛かったかもしれないけど、突き飛ばされた方は、自覚しているのかな?もしA子さんが突き飛ばされたということ、知っているとしたら、やっぱり痛かったということです。
突き飛ばした方も、突き飛ばしていること、全然自覚しないで突き飛ばしているから平気なんです。これ自覚していたらちょっと困るんでしょうが、自覚してないんだからもうこれは平気です。
突き飛ばされた方にきいてみたら痛かったそうで、痛いと言えばいいのに、それがまた黙っているんですねえ。何の罪もないようで、そういう姿でいることで、増々、相手を無自覚にしてしまう、罪を犯しているわけです。
痛いといえば気づかなかった人も、あれ?何かやったんじゃないか俺って思い始め、思い始めれば、あ~そうか、そんなこと、うっかりやってしまったんだなと悟れるでしょうに。
そういうチャンスを提供しないで、無自覚のままに放置している。そんな惰性で行ったら、もう至るところで、この無自覚の暴力を振るう人になる可能性があるわけですよ。」と。
 そういう考え方をすると、痛いとも何とも云わないのは、礼儀に適っているようでいながら、実はとんでもないことをやっていることになるのです・・・。
まだ文章は続くのですが、引用はこれくらいにして。

このあたりの下りを体ですりこまれた私は、いつだっておばか(笑)のように、痛いという表現をしていたことに気づいた。
とかく秋田県人の多くは、なかなかこのあたりのくだりを表現できずに、痛いと気づいていてもいわゆる“ いい人 ”になってしまい黙りがちなのを知っている。
久しぶりに友田の文章に出会い、勇気をもらった私。
「無自覚の暴力」懐かしい言葉だけれど、それをしないと決めたのはこのあたりの経験からだったなあと、今一度、載せておきたい言葉であった。

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