キム・ジヘ(尹怡景訳),2024,家族、この不条理な脚本──家族神話を解体する7章,大月書店.(11.29.24)
LGBTの権利や性教育を認めれば「家族が崩壊」する?私たちを無意識に拘束する「健全」な家族という虚像が作りだす抑圧や差別、排除を可視化する。日韓累計25万部『差別はたいてい悪意のない人がする』著者待望の第二作。
日本の私たちもまったく同じ風景を見ている、同じ滅びの道を辿っている…と何度も思った。
「家族という脚本」を強制し続けることによって個人が抑圧され、幸せに生きていけない社会。
そんなところにいたくないと思う人に、ぜひ届いてほしい。
――太田啓子(弁護士、『これからの男の子たちへ』著者)
「正常な家族」がある限り、「異常な家族」という烙印(スティグマ)は残り続ける。
家族というシナリオには、女性差別や同性愛差別、優生思想や外国人嫌悪が流れ込んでいる。
いま「家族」を再考するための、最良の一冊。
――高井ゆと里(群馬大学准教授、『トランスジェンダー入門』著者)
韓国、2023年の合計特殊出生率は0.72。
日本は同年、1.20であったが、この数値は、両国のジェンダー不平等の度合いを反映している。
生まれてくる赤ちゃんの立場に立って考えれば、人の誕生を迎える心とはどうあるべきかがあらためて見えてくる。国家の存続や発展よりも、この地に生まれ落ちた人が、尊厳を守られた平等な人生を送ることができるのか、養育者の人生を犠牲にせずに、幸せな時間を分かちあい成長できるのかが、より重要な問いになるはずだ。個人そのものを尊ぶことなく、ただの道具として扱う社会に喜んで生まれる子どもなどいるだろうか。自分がどんな人生の「ガチャ」を引くかわからない、不平等な世の中に生まれ出ようと決心するのは簡単なことだろうか。もしかしたら、現在の低い出生率は、人がどのように生まれようとも尊厳を守り、平等な生活が保障される社会になるまで世の中には出られないという、子どもたちの切実な訴えのこもったストライキなのかもしれない。
(pp.58-59)
合計特殊出生率が1を下回る時代は、こんなにも理不尽かつ不平等な社会で、それでも子どもを産むよう国家が求めるという、無茶な要求とともに続いている。いま韓国社会の少子化が国家的危機だとすれば、それは「人口」が減ったからではない。この社会が、よほどのことでないと人が生まれて暮らしていける場所ではないということを意味するからだ。多様なケアの共同体が、時間と心を分かちあい、幸せに生きていくことが難しい社会だということを意味するからだ。人口政策は家族政策ではないのに、これら二つの違いすら理解しない社会をふたたびくりかえしながら、私たちの時間は過ぎていく。そこで、あらためて尋ねたい。
そろそろ、家族の脚本から離れる頃合いではないでしょうか?
(pp.190-191)
妊娠、出産、育児が、職業キャリア継続の足かせにならないような施策もさることながら、それ以前に、生命と人生とがまるごと肯定され尊重される社会でないことが、韓国、日本における少子化の最大要因であろう。
女性に出産を強要しようとする人々、同性婚に反対する人々がすがりつく、「家族の伝統」は、せいぜい30年程度の歴史しかもたない近代家族の幻影でしかない。
いかなる形態であれ、個人が自由意思で取り結ぶ生活上の共同体が、すべて、家族、もしくはそれと同等の存在として尊重されるようにならなければ、少子化が止むことはないであろう。
目次
プロローグ 家族という脚本
第1章 どうして嫁が男じゃいけないの?
第2章 結婚と出産の絶対公式
第3章 望まれない誕生、許されざる出産
第4章 役割は性別によって平等に分業できる?
第5章 家族の脚本を学ぶための性教育
第6章 不平等な家族の脚本
第7章 脚本のない家族
エピローグ マフィアゲーム
解説 空気のような存在としての家族、問題の因子としての家族(梁・永山聡子)