構造的に強者、抑圧者として社会に組み込まれた者が、弱者、被抑圧者に語りうることはなにか。
むしろ自分は被害者であると思い込んで、ミソジニー(女性蔑視)に「闇落ち」することなく、また、加害者として居直ることなく、「まっとう」であるとはどういうことか。
本書は、こうした難題について徹底的に考えぬいた秀作である。新書とは思えないほど、情報量が多く、読みごたえがある。
「人間としての不幸や痛みや傷を見つめて、それを手当てする(自己ケアとしての自己への配慮)。それと同時に、男としての既得権や優位性、加害的ポジションを認識し、それを手放し(unlearnし)、その放棄の痛みにおいて社会変革を試みていくこと。しかも、外部の他者(女性、性的マイノリティ、クィア)たちに呼びかけられながら。」(p.195)
思索の素材である文献や映画の参照のしかたが、これまた秀逸でとても良い。
世界的な潮流となった#MeToo運動や男性社会への疑義など、性別に伴う差別や不平等への意識が今日、かつて無いほどに高まっている。
他方、「男性特権」への開き直りは論外として、多くの男性は、時には剥き出しの敵意にも直面しながら、己の立ち位置や与し方に戸惑っているのではないか。
自らの男性性や既得権、そして異性との向き合い方に戸惑い、慄くすべての男性に応えつつ、女性や性的マイノリティへ向けても性差を越えた運動の可能性を提示する一冊。
目次
まえがき
第一章 多数派の男たちは何をどうすればいいのか
第二章 ヘテロ男性とは誰のことか
第三章 『マッドマックス怒りのデス・ロード』を読み解く
第四章 ヘテロ男性は変わりうるか─複合差別時代の男性学
第五章 『ズートピア』を読み解く
第六章 多数派の男たちにとってまっとうさとは何か
第七章 男たちはフェミニズムから何を学ぶのか
第八章 ポストフェミニズムとは何か
第九章 剥奪感と階級─『ジョーカー』を読み解く
第一〇章 複合階級論に向けて─ラディカル・メンズリブのために
あとがき
註
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