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マルセル・モースの『贈与論』からアナキズムを説き起こす点も含めて、おおむね、デヴィッド・グレーバーの立論にならって議論が展開されているが、きだみのるの『気違い部落周游紀行』に描かれている、全員一致型の民主主義のしくみを評価している点が新しい。
国家なんかいらない。こんなことはわたしにとっても自明のことだし、最も身近な国家権力の走狗である警察にしても、嫌悪と敵対の対象でしかない。(ただし、警察官も含めて、生業としてその任につかざるをえない事情は理解しているので、職業差別はしない。)
国家など必要としない生活を実践することが大切であることを、再認識した。
国家は何のためにあるのか?ほんとうに必要なのか?「国家なき社会」は絶望ではない。希望と可能性を孕んでいる。よりよく生きるきっかけとなる、“問い”と“技法”を人類学の視点からさぐる。アナキズム=無政府主義という捉え方を覆す、画期的論考!
目次
第1章 人類学とアナキズム
第2章 生活者のアナキズム
第3章 「国家なき社会」の政治リーダー
第4章 市場のアナキズム
第5章 アナキストの民主主義論
第6章 自立と共生のメソッド―暮らしに政治と経済をとりもどす
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