斎藤環・酒井順子,2006,「性愛」格差論──萌えとモテの間で,中央公論新社.(3.13.24)
斎藤環さんも、酒井順子さんも、むかしから好きなライターであったので、その二人の対談は、けっこう楽しみだったんだけど、全然、「「性愛」格差論」にはなってなくて、そこは、ちょっと残念だった。
ただ、部分的には、笑えるネタがあって、その点は、良かったな。
斎藤環
酒井順子
負け犬、おたく、ヤンキー、腐女子、、、別にいいんじゃないとしか思わないが、イタすぎるものもある、、、
酒井 対談に先立って秋葉原の街をぶらぶらしてきましたが、幼女系のエロゲーム・コーナーなどでは、女の私が行くと空気が変わってしまうのを感じました。先客に対して非常に申し訳ないし、やりにくいというか見にくいというか・・・・・・。銀座のクラブで、男の世界を覗き見たときのような、いたたまれなさがありました。
(p.79.)
わはははは。
幼女系のエロゲにも銀座のクラブにも興味ナッシングだが、あまりのイタさに「いたたまれなさ」を感じるというのは、よーくわかる。
笑った笑った。
酒井 ナンパはまだしも行動的ですが、昨今のモテ・ブームは受動的すぎませんか。
斎藤 ナンパからモテへ。攻めから受けへという変化でしょうか。たしかに、変といえば変。なぜ「ちょいモテおやじ」なのか。
酒井 ここにきて男性も、ちやほやされる喜びに気付いた。いわば「ちやほや病」なのかも・・・・・・。
斎藤 男性も「選ばれたい」と思っているのでしょうか。『LEON』の読者層は、四十代~五十代、バブルの思いが断ち切れない人たちのニーズに合っているのかもしれません。
(p.168.)
出た!「ちょいモテ」、「ちょいワル」w
『LEON』って、かつての『BigTomorrow』なみに、イタいなあ、、、、
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あはははは、はらいてー。
斎藤 それは可能でしょうかね。なにか、男性に比べてけっこう壁が厚いような気がするんですよ。それこそ、酒井さんが書かれていた「イヤ汁」じゃないけれども、男性と比べてすら、女性の性体験の欠如は、パブリックイメージとして大きなマイナスになってしまう。何か人格的欠損があるかのように捉えられてしまう恐れがある。実際そうであるかどうかは別として、そういうイメージがかなり共有されている気がします。ところが、いまや男性の童貞というのは、年を重ねるほど純粋性というか、一種の求道者(笑)めいた価値が加わってくる。生涯童貞だった宮澤賢治のイメージなども重なります。一説によれば三〇歳を超えた童貞は「妖精」になるのだとか(笑)。女性の場合は、ある年齢を超えると、「妖精」ならぬ「魔」的なものが発酵しはじめるような印象が(笑)。もちろん実際には、性体験の欠如がトラウマやルサンチマンになりやすいのは男性の方だと思うんですけどね。女性は性愛のない世界でもけっこう自足できそうな気がします。ところが男性は自分の「性」をネタにできるけれど、女性の場合はシャレにならない、という格差がまだある。これは「性の現実」と「性の語り口」の格差でもありますね。
「性交経験ゼロ」の若者が増えている…「性の不活発化」とどう向き合うべきか
おたく、腐女子で、性交経験ゼロで、全然、かまわないと思うけどね。
性暴力加害、ミソジニー、フェミサイド、ジョーカー等に「闇堕ち」せずに、おとなしく老い、死んでいってくれたら、ほんと、どうでもいい。
おたく、腐女子、チー牛=SDGs説。笑
酒井 絶望感を抱いているという点ではみな共通していて、そこだけは格差がありませんけれどもね。
斎藤 なるほど、おおむね同感です。
ただ、本当にそれが「絶望」と言えるのかどうか。絶望に至るからには、もともとなんらかの希望があったはずですけれど、僕にはそれすら疑わしい気がするんですね。その意味で、むしろ今支配的な気分は「諦め」に近いのかもしれません。つまり、このどうしようもないシステムに乗っかって、みんなと一緒に回り続けるしかないという諦め。たぶん、その外側に出ることが絶望であり、同時に希望なのじゃないでしょうか。
今まで酒井さんと語り合ってきて、僕はやっぱり、希望は性愛にしかないのではないか、という感想を新たにしました。いかにも精神分析っぽい締めで恐縮ですけれど(笑)。格差論って、どこか頭の良い人間が美味しいところを全部持って行くようなイメージがありますけど、どんな賢い人間でも性愛の局面においてはバカになる。そもそも「モテ」から「萌え」に至るまで、本質的には愚かしい話じゃないですか。でも、それなしでは何も始まらないのも事実です。
性愛ゆえに人は頑張り、性愛ゆえにバカになる。ここに希望もあるんじゃないか。だから「おたく」から「腐女子」まで、「ヤンキー」から「負け犬」まで、さまざまな愛の形を、いったんすべて肯定しておく必要がある。その上で、あえて「バカになることを恐れるな」ということを、僕なりの結論にしておきたいと思います。
酒井 なるほど、観察ばかりしていてバカになりきれなかったところに敗因があったのか・・・・・・!
(pp.199-200.)
うーん、そうは言っても、、、ということなんだけれども。
性愛のクオリア(感覚質=感覚的な意識や経験)は、外見、感情、知性、正義、コミュニケーション能力等によって決まってくるわけで、それ考えると、「性的弱者」は「自己の存在証明」としてのアイデンティティが欠落しがちになるという厳しいリアルが、一方にある。
『電車男』以降、おたくに注目が集まる。一方で、ボーイズラブに耽溺する「やおい」女性も増加中。若者たちは番(つが)えるか?
内容説明
金があっても必ずしもモテない(!?)時代。格差は「金持ち/貧乏」「モテ/非モテ」「既婚/未婚」等と入り組む。趣味の「棲み分け」が進むなか、男女が番(つが)わない理由を徹底究明。
目次
1章 「負け犬」―非婚は不幸なのか(負け犬とひきこもり;強い女はなぜモテない ほか)
2章 「おたく」―萌える男たちの心理とは?(「萌え」とは何か;『電車男』は母性愛 ほか)
3章 「ヤンキー」―語られざる一大文化(ヤンキーは一大文化;女医と看護師 ほか)
4章 「腐女子」―異性と番(つが)うよりも同性で(乙女カフェ;女子高生という「価値」 ほか)
終章 「負け」を生き抜く―九〇年代以降の流れの中で(「ちやほや病」;趣味と格差 ほか)