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大学での講義で「日本人」という言葉を使うのにとても抵抗があって、「日本国民」と言ってみたり、それも
ちょっと違うかなと思って、ほんとうは、「自分を日本人と思っている人々」と言いたいところなんだけど、うーん、といった経験をしてきたわたしにとって、碩学、網野善彦さんと鶴見俊輔さんの対談には、しきりと頷くことばかりなのであった。
セブンイレブンでおにぎり買って釣りに行く楽しみさえない皇族はかわいそうでしょ、皇族を半ば人にあらずと言わんばかりの差別をするのはやめるべく、天皇制は廃止しよー☆とか、君が代や日の丸はダサダサなので、もっと良いもの取り替えよー☆とか、九州と東北を同じ「日本」という枠に収めるのはあまりに乱暴なので、とりま、北海道、東北、関東、中部、関西、中国、四国、九州、沖縄はすべて独立し、日本国は解体しよー☆とか、真剣に考えないといけないと思う。
社会的政治的軍事的に構築された「日本」という人工物を少なくとも思考上は解体していくためにも、日本社会の地域的階層的職業的多様性に気付かせてくれる学問にはとても価値があるように思う。
歴史家・網野善彦と哲学者・鶴見俊輔が「日本」と「日本人」をめぐって縦横無尽に語り合う。「百姓」とは誰をさすのか。「天皇制」をどう読むか。知識人が作り上げた日本史からこぼれ落ちた視点にこそ、見逃せないこの国の未来がある。ここでしか読めない二人の貴重な対談。
目次
1 歴史を多元的にみる
国民の生活から離れる知識人たち
「烏合の衆」が秘める思想的な強さ
わからない問題がたくさんある
「お前は何民族だ?」と聞かれたら
ずっと秀才だった人間の思い込み ほか
2 歴史を読みなおす
「意味の重層性」を欠く日本の学術語
歴史的変化の中で揺れる文字の面白さ
山中共古と『東京人類学雑誌』
いま崩れようとしている「百姓は農民」像
襖の下張りに潜んでいる事実 ほか
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