森山至貴,2024,「ふつうのLGBT」像に抗して──「なじめなさ」「なじんだつもり」から考える,青土社.(1.30.25)
「もうLGBTなんてふつう」って言っておけばいいと思ってない?「ゲイコミュニティ」になじめないゲイという立場に留まることから見えてくる、うわべだけのセクシュアルマイノリティ理解を脱するための処方箋。
わりと簡単なことを難解な言葉で言い表そうとすることにより、読む側の思考が切断されてしまう難はあるものの、マイノリティに一見配慮しているかのような言説の偽善、マイノリティが隔離されてしまう「居場所」というゲットーの息苦しさ等、よく考え抜かれて指摘されているように思える。
「わたしはわたしでしかない」のに、ゲイ、トランス等のカテゴリーに回収されてしまうことへのイライラ、怒りが、ビシバシ伝わってくる。
目次
1 なじめない私
居場所がしんどい、現場がこわい
「二丁目に捨てるゴミ無し」と人は言うけれど、
ないことにされる、でもあってほしくない―「ゲイの男性性」をめぐって
「LGBT」が「活用」されれば満足ですか?
2 なじんだつもりのあなた
「最近はLGBTをテレビや映画でよく見かけるし、時代は変わったよね」
「どんな見た目でもいいじゃない、LGBTの人たちみたいに」
笑っても地獄、笑わなくても地獄
「何に困っているのか教えてください」
「今度はインターセクショナリティが流行ってるんだって?」