
「自己決定」する主体による行為と、その行為の対象となる客体との関係は、能動─受動のそれであり、そこに、行為者の「そうせざるをえなかった」、あるいは「ついそうしてしまった」経緯は徹底的に無視される。
わたしたちは、過去の傷つき経験を忘却しながら、辛い現実を耐え忍んでいる。依存症や自傷行為は、意思では忘却しえぬ過去の傷つき経験が生む疼きによるものだ。
自らの過去の傷つき経験を自己という物語に回収しない限り、わたしたちは自らの加害行為の責任をとることはできない。
「中動態」という、近代化以降抑圧されてきた認識枠組みをとりもどすことで、わたしたちは他者に応答し、責任をとることができる。
本書は、そうした、さまざまな発見、啓発にみちた対談集である。
わたしたちが“責任あるもの”になるとき―『暇と退屈の倫理学』以降、お互いの研究への深い共鳴と応答、そしてそこから発展する複数の思考を感受し合いながら続けられた約10年間にわたる共同研究は、堕落した「責任」の概念/イメージを抜本的に問い直し、その先の、わたしたちが獲得すべき「日常」へと架橋する。この時代そのものに向けられた議論のすべて、満を持して刊行。
目次
序章 「中動態」と「当事者研究」
「当事者研究」に先立つもの
「医学モデル」から「社会モデル」へ―パラダイムチェンジの背景 ほか
第1章 「意志」と「責任」の発生
使い勝手の悪い日常言語
『中動態の世界』と当事者研究 ほか
第2章 中動態と「主体」の生成
意志とは切断である
意思決定支援と欲望形成支援 ほか
第3章 自己感・他者・社会
自己を維持するにはコナトゥスに逆らわねばならない
コナトゥスと退屈しのぎ ほか
第4章 中動態と「責任」
「意志」と当事者研究
「使う」という哲学 ほか
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