言わずと知れた話題作だが、最近は顧みられることもあまりなくなってきた。
元祖「酒鬼薔薇」こと「少年A」の本名は、検索をかけるといまでも知ることができる。もっとも、再度、養子縁組でもして改名し、弁護士稼業を続けているのかもしれない。いまでも、贖罪の意識など皆無であろうし、そうした「鬼畜」の精神構造をあれこれ詮索しても無駄である。「人格障害」、ましてや「心の闇」などという情報量ゼロのレッテルを貼り付けてわかった気になるくらいなら、はなっから思考停止し、「自らの理解を超える脱社会的人間もいるものだ」とたかをくくった方がまだマシだ。そういうふうに考えると、医療少年院において、贖罪意識が芽生えるまで期限を定めず社会化プログラムを延々と反復し続ける処遇が、「少年A」には適切だったのだと思う。遺族の独白という形式でとりまとめられた本ルポルタージュは成功していると思うが、遺族はともかく、著者の「すべからく人間はまっとうであるはずだ」という根拠なき思い込みがはなはだしいのが気になる。
ともあれ、本書が法曹界に与えた影響は大きい。「少年A」の正体を本書とネットでおそらくは知ったであろう家族や近隣の人々、知人たちがどのような心境になったのかも気になるところである。
目次
白昼夢
二十八年前の「酒鬼薔薇」
消えた記憶
闇に凍える家
母が壊れる
死の世界へ
救世主
暗夜航路
父の涙
リストカット
父が逝った
少年Aの行方
父の死後
一九六九年春、川崎にある男子高校で、一年生が同級生に殺されるという事件が発生した。被害者はめった刺しにされた上、首を切断されていた。神戸で「酒鬼薔薇」事件が起こる、二十八年前のことだ。本書は、犯人の少年Aのその後と、被害者遺族を襲った悲劇を丹念に追った、渾身のルポルタージュである。
「神戸の事件が起きたとき、あの事件そのものを取材しても何も分からないだろう、それより昔似たような事件が起きていたなら、そちらを調べた方が『酒鬼薔薇』少年に迫れるのではないかと考えたのが、この本を書くきっかけでした」
当初この作品は、少年Aのその後を追ったものとして雑誌に発表された。だが後に、著者は改めて、被害者の母親と妹への数年にわたるインタビューや取材を重ねることとなる。
「雑誌に発表した当時は、加害者の“更生”が問題になっていて、加害者を追跡して現在の姿を見定めるのが、ひとつの目的でした。加害者の更生というのは、一般的には社会復帰できたことを指します。だけどそれは加害者側の問題であって、加害者が起こした事件には表裏一体で被害者がいる。加害者の更生は、被害者との関係性の中で論じなければ意味がないのではないか、と思ったんです。そこで、この三十年間をどう生きてきたのかを含めて、被害者側の話を聞かせてもらうことにしました」
そこで語られた遺族の生活は、あまりにも辛い。人格障害を疑われるほど錯乱した母。悲しみを胸のうちに押し込み、必死で母を支えようとする父。壊れそうな家庭の中で、両親への反抗やリストカットでバランスをとろうとする妹。だがそもそも、こうした証言を得るのに著者は苦労する。母親は、あまりのショックに、事件後数年の記憶を失っていたのだ。
「こんな事態は想定していませんでした。しゃべりたくないか、隠しているんだろうと思って。しばらく経ってこれはヘンだと思い、妹さんを交えて話してみて初めて、記憶をなくしていることが判明したんです。遺族の受けた衝撃は推測していたけれど、何年にもわたって記憶を失ってしまうほどの衝撃というのは、想像がつかないですよ」
当事者すら失ってしまった記憶を補うため、著者は関係者を訪ねる。それには妹も同行するが、分裂病質と診断されたAのことを理解したいと精神病院に勤め、事件のことを知りたいと訴える妹の姿は、読み手にも衝撃を与える。
「遺族は今でも、生き方を左右されています。三十年という年月が経っても、癒されない。それほど犯罪被害者が受けた衝撃は凄まじいということを、私たちは知るべきでしょう」
Aは普通の職業に就けず、その日暮らしをしているのでは、と被害者の母親は気遣いさえ見せていた。だが現在、Aは弁護士となり、法律事務所を経営するほどの成功を収めている。被害者本人と家族への謝罪は、一度としてない。
「罪を犯した人間が更生できないと断じるのは問題があるけれど、被害者の意見も聞いたうえで更生しているかどうかを考えていかないと、この家族のように三十年も苦しみつづけることになってしまいます。それは国が責任を持つべきことだと、僕は思います。お金など物質的なことなのか、あるいは謝罪など精神的なものなのか、とにかく被害者がある程度納得したときに、初めて更生したといえるのではないでしょうか。被害者が直面する悲劇は、一回で充分です」
(週刊文春 2006年9月21日号より)
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