町沢静夫,1990,ボーダーラインの心の病理──自己不確実に悩む人々,創元社.(11.9.24)
モンロー、太宰、ヘッセのような、いわゆるボーダーラインの人びとが、最近とみにふえてきている。精神科医である著者は、その原因を社会構造の変化にあると考え、独自のデータをもとに分析した。まさに現代社会の病いを体現しているとも言えるこれら境界例の人びとの症例は、私たちに何を語るのだろうか。
わが国でいち早く「境界性パーソナリティ障がい」について取り上げた本作であるが、「身近にいる困った人」についての理解を深めるためにも、良い本であるように思う。
自己同一性の欠如、衝動性の制御困難、これがボーダーライン当事者の特徴であるが、彼女、彼らは自己の善悪の価値規範の妥当性を問おうとせず、幼稚極まりない自らの価値観を他者に投影する。
彼女、彼らは、強烈な実存の不安から、特定の他者をターゲットに、過剰な承認を得ようとする。
ところが、その実存の中身が空っぽなわけであるのだから、タゲられた者はいい加減愛想を尽かす。
そうすると、タゲられた者は、ボーダーライン当事者にとって、「絶対善」から「絶対悪」を体現する存在に転化し、壮絶な憎悪の対象となる。
したがってこのような患者は、当然と言えば当然であるが、男性の主治医に強い憧れを持ってしまう。父親を見つけるかのように主治医の後を追いかけ回し、赤ん坊のようにその甘えを受け入れてもらおうとする。しかしそれが叶わないとなると全く逆になり、主治医を罵倒し、批判するというDSM-Ⅲ-Rの対人関係の障害の典型的な面を見せ始める。さらにやがて主治医に見放されるのではないかという不安を囲っており、かつ自分自身の衝動をコントロールできないので自分に自信がない。したがって自分がどういう人間であるか、自分が何だか分からないということを彼女からよく聞く。
(p.24)
タゲられた者こそ、いい迷惑である。
ボーダーライン当事者は、自尊感情が著しく低いにもかかわらず、謎の自己顕示欲をまき散らかす。
したがって、正常な人は、自己というものの感覚が極めてはっきりしており、まとまりをもち、人に特別支えられたり、人から褒められたり、何かせずには自分を支えられないという、いつも追い立てられるような状況の少ない人たちである。これらの人たちにとって、このまとまりのある自己というものは、よくバランスがとれ、自尊心、何らかを成し遂げる力、目標を長い時間追い続ける力というものを充分持っていると考えられる。さらに、自分というものの感覚を保つのに特別他者を必要と感じることはなく、自分自身で自分をコントロールでき、自分なりの調節ができている。したがって、人の批判や中傷にあまり動揺せず、自分というものを保つバランスが非常に優れている。
(p.75)
相手をするのは消耗するだけである。
ボーダーライン当事者が、病識をもち、精神科医なりカウンセラーなりのもとで治療するのを期待するほかない。
目次
第1章 今なぜボーダーラインか
第2章 症例研究
第3章 ボーダーラインの実証的データ
第4章 ボーダーラインの家族
第5章 精神障害のいろいろとボーダーライン
第6章 ボーダーラインはどうして生じるのか
第7章 都市化とボーダーライン
第8章 ボーダーラインと創造性(太宰治の場合;ヘルマン・ヘッセの場合)
第9章 現代社会とボーダーライン