終日、冷たい雨。
『書斎の窓』(有斐閣)692号に掲載されてる、久保田進彦「消費と私 第7回 それは本物か?」が、とてもおもしろかった。
引用する。
コンシャス・キャピタリズムとは、ひとことでいえば、社会全体の価値を高めることを意識した資本主義のことである。これまでの資本主義が株主の富を最大化し、消費者の市場選択を最適化することを目的としてきたのに対して、コンシャス・キャピタリズムは社会全体にポジティブな影響を与えようとする。つまりそれは、資本主義の本質と機能を再定義することを目指している。それゆえコンシャス・キャピタリズムの支持者らは、従来のCSRアプローチのように伝統的な利益最大化モデルに社会的使命を接ぎ木するのではなく、価値駆動型の目標と社会的意識を組織の使命とすべきだと主張する(Mackey and Sisodia,2014)。
トンプソンとクマーはコンシャス・キャピタリズムの象徴的なブランドや組織として、パタゴニア、スターバックス、TOMS、あるいは地元にあるフェアトレードのコーヒーショップを挙げている。そしてコンシャス・キャピタリズムを好む消費者らは、輸入品よりも地元産の材料を好んだり、プラスチック製品の包装を避けたり、あるいは「レインフォレスト・アライアンス」や「カーボン・オフセット」といった認証ラベルを意識すると指摘する。つまりリサイクル素材のフリースを着たり、電気自動車を運転したり、ファーマーズ・マーケットで買い物をしたり、再利用可能なキャンバストートバッグを得意げに使ったり、フェアトレードのチョコレートを買ったり、社会的意識の高い消費活動を支援したりするのである。
しかし、「コンシャス・キャピタリズムのブランド、ビジネス、そしてそれを支持する消費者に対する真正性が、しばしば疑問視されている」(p.23)のも事実である。おそらく最もよく耳にするのが、コンシャス・キャピタリズム型の企業がサステイナビリティのような社会的価値を掲げるのは、彼らの製品やサービスにプレミアムを支払ってくれる高所得の消費者らの生活に対して道徳的美徳というオーラを吹き込むための手段に過ぎない、といった批判である。つまり「コンシャス・キャピタリズムは宣伝用の誇張表現にすぎない」(p.23)というわけである。トンプソンとクマーはこうした主張を「エリート主義批判」と位置づける。ただしここにおけるエリート主義批判というのは、リベラルな思想や高尚な嗜好を持つ知識階級に対する反感を意味している。
(pp.59-60.)
たとえば、かつてトヨタ・プリウスが環境配慮型自動車のアイコンとなったとき、プリウスを運転する人々に対して「自分が他の人々より道徳的に優れていると思い込んで聖人ぶっている奴らだ」という非難がなされた。またオーガニック食品を購入し、高級電気自動車を運転し、自然派洗剤を使っている「エコ・フレンドリー」な消費者は、小さな家に住み、公共交通機関を利用し、めったに飛行機を利用しない低所得の消費者よりも、はるかに多くの温室効果ガスを排出するライフスタイルを送っている、といった批判もある。こうした批判の背後には、エコ意識の高い裕福な消費者は自ら美徳のシグナルを発しているが、そうした象徴的行為によって道徳的優位性を装うことは正当化されるものではない、という考え方が存在する。
(p.62.)
中流階級の消費者は、フェアトレードコーヒーや地元産のオーガニック食品といった社会的意識の高いブランドや商品を購入することにより、罪悪感のない方法で物質的に恵まれたライフスタイルを送ることが可能となる。また、社会経済的不平等という罪の意識から自分たちが免責されたと感じることもできる。しかし彼・彼女らは、自分たちの視点が中流階級の生活や感性によって形成されてきたものであることにほとんど気づいていないうえに、結果的にそうしたブランドを購入するための経済的・文化的資源を持たない人々に対して排除的なシグナルを発している。このようにコンシャス・キャピタリズムを支持する中流階級の消費者は、それを社会生活の違いを超越した一般性の高い考えだと思っているが、実は中流階級の消費者のイデオロギーにすぎず、本物とはいえないというわけである。
(p.63.)
キャンセル・カルチャーについての議論につながる論点だな。
SDGs的な偽善に嵌まることなく、いかに持続可能な社会をめざすのか。
そこには、反出生主義や、人類はいますぐ間引きされるべきだ、という過激な思想も当然あり得るだろう。
ともあれ、「意識高い」系の消費者は、キャンセルされる前に、もう少し、自省した方が良い。
同号で、本田由紀さんが、奥村隆さんの『社会学の歴史Ⅱ』を絶賛している。
これは読まないといけないな。
履修〇録二日目。
困ったちゃんが必ず一人はいる。
積み残した単位に加えて、新学年の授業も履修していかなければいけない。
登録が進まず、終わるめどさえ立たないので、「ちょっといいかな」とことわって、マウスを奪取。
次々に選択できる授業の一覧を画面に出し、「これどうかな」と尋ねていく。
無事、終わったので、よしとしよう。
帰路、散髪する。
(追記)
ここ一週間のアクセス数。
ダンバーズナンバーの150人(UU)は超えてるから、匿名ブログであることを考慮すれば、この程度でいい。
「人がつながりを持てるのは150人まで」その定説に挑戦した研究 論争が始まった
でも、300UUをめざしたくもある。笑