牧野宏美,2024,春を売るひと──「からゆきさん」から現代まで,晶文社.(9.24.24)
島原半島からの密航。米軍基地の脇で、そして現代の夜の新宿で。彼女たちは何を思い、どう生きて来たのか。「からゆきさん」「パンパン」ー娼婦、売春。最後の証言者たちの声を追い、120年にわたるその真実の姿と命に迫る。共感を呼ぶまったく新しい女性史の誕生。
「からゆきさん」、吉原遊廓、米軍基地の「パンパン」。横浜のメリーさん、立川デリヘル殺人事件。新宿区大久保公園。気鋭の新聞記者が、一二〇年にわたる娼婦、売春の真実の姿に迫る。歴史的な概要を知るのに最適であるとともに、これまでの女性史とは一線を画する一冊。
ニュージーランドのように、売春をセックスワークとして認め、ワーカーの人権が法令で守られるようにしようという論調があるが、わたしは、スウェーデンのように、買春を罰する法令を策定すべきだと思うようになった。
売買春を禁止すべきだと考える根拠は以下のとおりである。
赤松啓介が描いた、夜這いや子どもへの強制的な性体験の強要は、身体と人格とが一体のものとしてはとらえられていなかった時代、前近代社会における共同体慣行として成立していたものであって、身体性と不可分の人格を至上のものとしてとらえる近代社会において、性的行為の強要──共同体慣行としての──は、許容できるものではない。
ましてや、金銭で身体──だけでなくそれと不可分の人格を売買する行為は許されるべきではない。
人格の尊重に最大の価値をおく近代社会──ここいらへんの議論はエミール・デュルケムの緒論を参照──において、身体のプライベートゾーンへの侵襲をともなう性的行為は、そこに強制や暴力、金銭的誘因がある限り、心的外傷をもたらす蓋然性が高い。
心理的な「傷害」をもたらしかねない行為は、一切、認められない。
以上である。
売春を生業とする女性には、性暴力被害を受けた経験のある者が多いというのは、周知の事実である。
性暴力被害の当事者からヒアリングを行った心理学者らによる編著『性暴力被害の実際──被害はどのように起き、どう回復するのか』(齋藤梓・大竹裕子編著、二〇二〇年)によると、被害者のなかには性的衝動が抑えられない、自らを傷つけたい衝動が生じるといった、自身のコントロールが難しい状況になり、自ら不特定多数の人と性的関係を持ったり、金銭と引き換えに性交したりした人がいた。同書は、こうした行為が、「自分から進んで性暴力の苦しみを繰り返している」ように見えるものの、「その背景には『尊厳/主体性への侵害』があり、自分に価値がないという思いから自暴自棄になり、何かしていないといられなくなる、あるいは自分のトラウマを過小評価したいという思いになるなど、さまざまな理由が存在」すると指摘する。さらに被害者たちは「死」について語っていたといい、「死にたい」というより「消えたい」に近い感情を長時間持ち続けるとしている。
私が以前取材させてもらった性暴力の被害にあった女性も、同じような経過をたどっていた。女性は幼少の頃に義父から暴行され、中学生の時には先輩たちから集団で暴行を受けたが、その後性風俗の仕事を始めた。経済的理由もあったというが、性風俗の仕事を選んだ理由を「男性に仕返しをしたいという思いがあったから」と語った。被害を受けたことによって主体性が侵害された経験から、彼女にとって、それを克服する心理的プロセスとして、あえて自分の意思で性風俗の世界に飛びこむ必要があったということなのかもしれない。
レイプがきっかけでパンパンになったという女性たちの証言からは、性被害を受けたことを家族に明かしても女性に落ち度があったように捉えられ、怒られたり不仲になったりして家に居づらくなってしまったことがわかる。レイプを受けたうえ、周囲からとがめられた女性たちは、二重の意味で尊厳を深く傷つけられたに違いない。前述の心理分析を踏まえれば、「自分には価値がない」と思い詰めて自尊心が低下し、自暴自棄になった末に居場所がなくなり、結果として自身では望んでいなかった娼婦へと転身することは充分ありえるだろうと考える。
彼女たちは自分たちの心理状況や娼婦になった理由を詳しく説明していないが、たとえば「やけくそ」という短い言葉にも、心の奥底に深い苦しみが込められていることに思いを巡らせる必要があるだろう。
(pp.85-86)
わが国における、とくに子どもへの性暴力抑止と、性暴力被害者へのトラウマ治療の水準はきわめて低い。
まずは被害の防止、被害者には質の高い精神科診療が必要だ。
性暴力被害者が機能不全家族の出自である場合、いっそう、性搾取の被害リスクは高くなる。
家出をする女性たちに共通するのは「孤独」だ。家族関係がうまくいかないということは、多くの場合、自分が信頼して相談できる人、また自分を理解して愛情を持って接してくれる人が周囲にいないということを指す。それが孤独な気持ちにつながり、女性たちを家出に駆り立てたのではないだろうか。さらに、証言では詳しくは述べられていないが、家族関係が悪化するなかで女性たちは虐待などの被害を受けていた可能性もある。家出は、そこから逃れる意味もあったと考えられる。
現在でも、家に居場所がなく、孤独やさみしさを感じている女性は少なくない。若い女性から相談などを受けて支援するNPO法人「BONDプロジェクト」の活動報告書(二〇二一年)によると、女性たちが抱える問題の背景として多いのは、「メンタルヘルス」「家族」「自殺念慮」「虐待」「性被害」などがある。
(pp.92-93)
「子ども食堂」をはじめとする地域社会における居場所づくりが必要である所以である。
売買春が成立していった経緯と社会的背景、そして、そこから見えてくる、女性も含めて深く内面化された「春を売る人」への嫌悪と侮蔑、差別心について理解することは、とても大切なことだ。
展示プロジェクトのメンバーで、『中世の〈遊女〉──生業と身分』(二〇一七年)の著書がある辻浩和氏(立命館大学教授)へのインタビューや展示の図録『企画展示 性差の日本史』、「性差の日本史」展示プロジェクト編『新書版 性差の日本史』(二〇二一年)によれば、近年の研究では、日本で職業としての売春が生まれたのは九世紀後半頃とされている。それまでの社会では男女の出会いや性的関係は緩やかで、『万葉集』では人妻への求愛・求婚の歌が多数確認できる。一夫一婦の結びつきがそれほど重視されておらず、たとえば婚姻外の男女が性交しても夫婦での性交と区別されることはあまりなかったため、性売買自体が成り立たなかった、という。
一方で、七世紀の律令制の導入によって男性が政治的・社会的な地位を独占するようになると、婚姻関係にも変化が生まれた。自分の子にその地位を継承するため、夫婦の結びつきが重視されるようになり、父が政略的に娘の婚姻相手を決めたり、夫が妻の性愛を管理したりし始めた。
九世紀後半以降、妻は基本的に夫以外と関係を持つことがなくなった。『日本古代婚姻史の研究』(関口裕子、一九九三年)によれば、夫婦外の性行為が閉ざされるなかで配偶者以外との性的関係を社会的、法的に許されない行為とみる「姦通」という概念が生じ、それと同時に、逆説的に不特定多数との性の売買の価値が生まれ、売春が成り立つようになったと考えられてい
以後、「姦通」という概念は長く続き、明治期の旧刑法に「姦通罪」が盛り込まれた。それは夫のいる女性が夫以外の男性と性交することによって成立し、処罰対象はいわゆる「不倫」した女性とその相手のみだった。妻のいる夫が夫のいない女性と性交しても罪には問われないため、不平等だとして姦通罪は太平洋戦争後に廃止された。不倫は法的には犯罪ではない現在でも、著名人、とりわけ女性で発覚するとバッシングされることが多く、概念としての「姦通罪」は残っているように感じる。
(pp.152-153)
なぜ、遊女への蔑視が広がっていったのだろうか。
辻氏は「大局的には、社会が男性が中心になったことが影響した」と話す。そう考える根拠は次の通りだという。社会の変化に伴い、「家」も男性家長が前提となり、男性からの視点で家の中にいて夫を支える女性と、そうではない女性というカテゴリーで二分されるようになる遊女は「そうではない女性」の代表格で、家の中にいる女性(町女)が産むための性ととらえられるのに対し、遊女は消費される性という認識が定着していった。
辻氏はこう分析する。「実態としては一人の女性が一定期間のみ遊女として働くケースもあり、「町女」と遊女の間の線引きはあいまいなものでした。だからこそかえって女性たちに性の規範を守るよう『自己規制』が求められた。遊女になる女性は規範を守れない存在とみなされ、おとしめられる構造ができていったと考えられます」
男性優位社会の中で、「男性目線」で女性を家の中か外かで区別することによって、遊女への蔑視が広がったという辻氏の分析は興味深い。これはおそらく家の中とみなされた女性が、家の外の女性(=遊女)を蔑視することにもつながったのではないかと私は感じた。第1章で明治期以降の「廃娼運動」について取り上げたが、これも「一夫一婦制」を重んじる西欧の性規範にならって娼婦を「醜業婦」と蔑み、母や妻の立場にある女性も同様に娼婦を差別していたという事実がある。第2章で扱った「パンパン」に対しても、妻や母親である女性らの視線は冷ややかだった。男性目線で広がった蔑視が、女性の分断をも助長する。男性優位社会がもたらす弊害の一例だろうと私は思う。
(pp.157-158)
「男尊女卑」といった女性差別・偏見に関わる概念でも言えるが、差別される側の女性の方がその差別意識を自身の中にも持ってしまうことは少なくない。それは悲しいことであるが、それによって差別や偏見はさらに強化され、差別される側が苦しみ、生きづらさを感じていくことになる。
(p.156)
法定労働時間働けば年収300万円は保障される最低賃金へ、疾病、障がい等で稼働不可能な人すべてに生活保護を、そして、性暴力の抑止と被害者へのじゅうぶんなトラウマ治療の機会を、買春者への処罰を──そうすれば、売買春をたとえ根絶できないとしても、この世の地獄を減らすことはきっとできる。
目次
第1章 からゆきさんの声
「声」との出合い
「からゆきさん」 ほか
第2章 「パンパン」と呼ばれて
街頭に立った女性たち
「性の防波堤」 ほか
第3章 娼婦はどう見られてきたか
容姿で選ばれる「商品」へ
遊女への蔑視 ほか
吉原脱出
現在の吉原
吉原を脱出 ほか
第4章 分断を越えるために
「風俗業をやっている人間はいなくていい」
立川デリヘル殺人事件 ほか