上野千鶴子・樋口恵子,2023,最期はひとり──80歳からの人生のやめどき,マガジンハウス.(5.2.24)
本書は、日本のフェミニズム、介護の社会化運動を牽引してきた、人生の大先輩のお二人による対談集だ。
きっと、少なくない女性が、このお二人をロール・モデルとして、人生をおくってきたのであろう。
このわたしも、社会学の研究者になるきっかけの一つは、上野さんの快刀乱麻を断つがごとき、論文や著作群に触れたことにあった。
ワーク・ライフ・ケア・バランスの実現は、後続世代に託される大きな課題だ。
上野 今回の改悪反対行動を共にするなかで、樋口さんから「私たちがつくったものを守っていってください」と言われたときにぐっときました。樋口さんからバトンを受け取った気持ちで、守る側の責任をひしひしと感じ、身の引き締まる思いです。
樋口 ありがとうございます。基本的に私は、世の中心にワーク・ライフ・バランスがあることに異論はありません。それはそれでいいのですけど、ケアをプラスして、ワーク・ライフ・ケア・バランス、この三つのバランスがとれた社会がいいと思っております。
だってね、生まれた途端に母親の乳房まで這い寄って乳が含める赤ん坊なんていますか?絶対いないんです。誰かが抱きとめて乳首を吸わせることによって人類は、もちろんネコ類も犬類もですけど、みんな親なり、誰かがケアをすることで生き延びてきたわけです。そのことを延長して障害を持った人の人権、病み衰えていった人の人権というふうに考えてみますと、社会というものは、少なくとも飢えから解放された社会が守るべきモラルを基本として、私はケアという営みが不可欠と思います。ケアを社会の中枢に位置づけて、それをどう分かちあい、担っていくか。
前回の上野樋口対談以降、私が考えている一番大きなことは、ワーク・ライフ・ケア・バランス社会、そのことです。
上野 本当におっしゃる通りです。コロナ禍の功績の一つはケアを見える化したことだと思います。
(pp.216-217)
「人生のやめどき」なんか、ない。
老化にともない、いつか健康寿命が尽きる。
しかし、フレイル状態にあっても、その生が無意味になるわけではない。
命尽きるまでしぶとく生き抜いていくこと、それが醜悪な優性思想に対抗していくうえでの力強いメッセージにもなることだろう。
家族をやめてつきあいをやめて自分をおりて……さいごは身ひとつで見果てぬ夢を見続ける。
これ、良き人生。
・墓に入るか否かが最後の終活
・夫婦のやめどき
・二世代住宅のやめどき
・子どもへの依存のやめどき
・87歳のクラス会は人生の彩り
・悪口、恨み、つらみのやめどき
・自分の悪口を言いそうな人より長く生きる
・感謝は早めに伝える
・ふるまいじまい、義理じまい
・音楽会のやめどきは
・80歳で最後の海外、北欧ツアー
・白髪染め・メイク・おしゃれのやめどき
・自主定年の設定
・84歳で調理定年
・食べ収めは永遠にしない
・最期まで自己決定するために
・「ありがとう」が出てきたらそろそろ……etc.
目次
88歳の樋口VS.72歳の上野 2020年5月収録
家族のやめどき
つきあいのやめどき
自分のおりどき
90歳の樋口VS.74歳の上野 2022年12月収録
75歳からの転倒適齢期
ほぼ90歳で全身麻酔手術
高齢者にもICTを
テクノロジーはユーザーフレンドリー
コミュニケーション手段はたくさんあっていい ほか