上野千鶴子・髙口光子,2023,「おひとりさまの老後」が危ない!──介護の転換期に立ち向かう,集英社.(5.3.24)
介護保険財政の健全性の維持のため、介護現場での職員配置基準が緩和され、介護職員の労働強化が進んでいる。
そうしたなか、だれしも認める「介護のプロ」の髙口さんは、施設居室への監視カメラの導入に反対し、職を追われた。
その髙口さんと上野さんが、高齢者介護をめぐる問題状況を語り尽くす。
「人に迷惑をかけてはいけない」とか、「人の役に立つ人間でなければいけない」とか、とくに心身の機能が衰えた高齢者にとっては無理筋の考えは、難病の当事者や重度の障がい者だけでなく、病気や障がい、生活困窮の当事者となる可能性のあるすべての者を、追いつめる。
上野 あれはヤな映画だと思いました。与えられるのは「死の権利」だけなんですから。どうして「生の権利」への選択肢が提示できないのかしら。あの映画のエンディングを見ると、死を選択しなかった主人公の人生には何の展望もありません。この先、あなたはこうやって生きていけますよという選択肢がない。お年寄りは死ぬために生きているわけじゃない。「今」を生きているんです。この世の中で介護がお手上げになったあとは、死への権利だけが与えられるなんてひどすぎます。
私たちがずっとやってきたことは、生への権利をどうやって確保するかということ。介護保険を作って、病気になっても介護が必要になっても生きていける社会を目指したはず。髙口さん自身も、認知症になっても寝たきりになっても生きていけるよという現場を作ってきたわけですよね。
安楽死のドキュメンタリー番組を観て思うのは、死を選ばなかったらこちらの選択肢がありますよという代替選択肢が示されていないことです。選択肢はいつも死の方へと、一つしかありません。ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんがなぜ人工呼吸器をつけないかといったら、呼吸器をつけたあとにこうやって生きていく方法がありますという選択肢がきちんと示されていないからです。代替可能な選択肢がないところでは自由な選択なんかありえません。
髙口 自由選択があるように見せて、いかにも本人に選ばせたかのようにして、そこにはもっときつい縛りが生まれていくということですよね。こういうのも、政治の問題なんですかね。「人に迷惑をかけるな」みたいな風潮が強くなっている感じ、ありますよね。五○代の普通の人が、将来認知症や体が不自由になったら施設に入らないといけないと思っていて、そこでロボットに介護される未来を漠然と想像していると聞いてがっかりします。介護は人にかける迷惑の後始末と思われている。介護は、人と人とのつながりから人が生きていく力を引き出すことだと、伝え切れていないとつくづく思います。
上野 そこね、人に迷惑かけることを弱みと感じるかどうかの問題でもあるの。裏返せば、人間は役に立たなきゃいけないのか、役に立たなきゃ生きていちゃいかんのかと言いたいです。
髙口うまく言葉にできなかったけど、今、上野さんの話を聞いて、もう世の中そうなってるよとなんとなくみんな思っているけど、でも違うよ、と私は言いたいんだ。生産性なんかでとやかく言われずに、本人が生きたいと言うなら生きようじゃない。生き残った人がごく自然に穏やかに何もしないで死ぬのを望むのなら、それに応えよう。私はそこを応援していきたいんです。尊厳死とか安楽死とか死ぬときどうする?ということばかり言うけど、尊厳生を支えるのが私たちの仕事だと思った。今回、よい介護とは何かっていう話をしたけど、ここを世の中にきちんと発信していくことを、私のこれからの仕事とします。
上野 最後まで人の役に立つことを是とするような価値観が広がってきているのは、この三〇年ぐらい、九〇年代からネオリベラリズム改革が進んできて、人に迷惑かけたくない、人の世話にはなりたくないという価値観が社会を覆ってきたからです。
こんな事例があります。コロナ禍で困窮する女性のための相談会に来たシングルマザーに生活保護の受給を勧めたら、「そんなこと言われるならもう二度と来ません」と言われたそうです。生活保護を受けることは恥だと思っているのね。時代がそういうメンタリティを作ってきたんじゃないでしょうか。
髙口 世話にならずに生きていくとか、迷惑かけないで暮らしたい、たしかにそういう社会風潮は強くなってきているのかもしれない。自己責任なんていうことが言われ出したの数十年前って感じがしますよね。
でも、「人に迷惑かけずに生きてます」とか、「私は人の世話にはなりません」なんていうのは、どれだけ傲慢なことだろうと思う。人が暮らしていくのに、そんなことはありえない。生きていくために、どれだけ他人の手が必要になったとしても、それは、お互い様なので、今を生きているこの人の、生きるための時間、空間を人として支えていく。これが私たちのやっている介護という仕事です。
(pp.191-195)
このように、高齢者介護の問題にとどまらず、人間の生存権と尊厳保障のあり方を問い直す議論が展開されている。
お薦めだ。
いま、日本人の老後が危機に瀕している。
介護保険制度から20年以上を経て、度重なる改悪により、介護現場は疲弊し、利用者は必要なケアを受けられなくなりつつある。
いったいなぜ、このようなことになったのか。
「在宅ひとり死」の提唱者である上野千鶴子と、長年介護現場に関わり続けるプロフェッショナル高口光子が、お互いの経験と実感をぶつけ合いながら、「よい介護」とは何か、そしてあるべき制度を考える。
おもな内容
・「年寄りは生き延びるためには何でも言うんや」
・介護の専門性とは何か
・集団処遇からの脱却
・公平さが生む画一的な労働
・介護と看護の対立はなぜ起こるのか
・施設経営の落とし穴
・コロナ禍でのケアワークの見える化
・小規模施設の未来
・現場が声を上げなければ介護は崩壊する
・在宅介護の限界って?
・質の悪い介護がなくならない理由
・日本で静かに始まる「PLAN75」
石井英寿(宅老所・デイサービス/いしいさん家代表)
「マクロもミクロもメソも日本の腐りきったおっさん文化。
ケアの値段の安さを戦ってきた上野氏。一方、権力抗争で憔悴した高口氏。
ジェンダーギャップ指数世界125位の現状を垣間見た。」
阪井由佳子(デイケアハウスにぎやか代表)
「高口光子は大規模施設の特攻隊長。
私は小規模施設の人間魚雷
自分の命をかけて飛び込みそして美しく散る運命なんだろうか?
この本を読むと介護が戦争と重なるのはなぜだろう。」
佐々木淳(医療法人社団悠翔会理事長・診療部長)
「ケアを守ることは、私たち自身の将来の生命と生活を守ること。
「生産性」のために犠牲にしてはならないものは何なのか。
介護をめぐる課題の本質を抉り出す、実践と理論、二人の対話。」
三好春樹(生活とリハビリ研究所代表)
「「対談」というより、「解雇」された介護アドバイザーへの「事情聴取」(笑)。
「医療モデル」と「生産性」に抵抗する介護現場の奮闘と課題が見えてくる。」
目次
第1章 私、クビになりました―介護保険の危機
「年寄りは生き延びるためには何でも言うんや」
老人病院での「不幸くらべ」
看護師からの反発
経営者の生産性と組織防衛によって起こった解雇
第2章 こうして私は介護のプロになった
介護アドバイザーという職場
集団処遇からの脱却 ほか
第3章 「生産性」に潰される現場の努力
居室へのカメラ設置
思わぬ大病 ほか
第4章 介護崩壊の危機
介護崩壊の分岐点
コロナ禍でのケアワークの見える化 ほか