小熊英二,2012,社会を変えるには,講談社.(2.3.25)
現代日本において「社会を変える」とはどういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、新しい可能性を語る500ページ。〈私はしばしば、「デモをやって何か変わるんですか?」と聞かれました。「デモより投票をしたほうがいいんじゃないですか」「政党を組織しないと力にならないんじゃないですか」「ただの自己満足じゃないですか」と言われたりしたこともあります。しかし、そもそも社会を変えるというのはどういうことでしょうか。〉(「はじめに」より)
いま日本でおきていることは、どういうことか? 社会を変えるというのは、どういうことなのか? 歴史的、社会構造的、思想的に考え、社会運動の新しい可能性を探る大型の論考です。
社会変動、民主主義、社会運動の変容について、史実に基づきながら、また、ソクラテス、プラトンから、マルクス、ベンサム、デュルケム、ベック、ギデンズに至るまで、内外の思想家の言説を参照しながら、平易に、かつ正確に論じる。
貨幣による人間(関係)の物象化について、これほど明解に論じた人がいるだろうか?
近代社会では、愛情までお金に変わっていきます。九〇年代に、「なぜ女子高生が援助交際をしてはいけないのか」というのが議論にというのが議論になったことがありますが、この文脈で理由をいえば、お金をもらって関係するのに慣れてしまうと、すべての関係をそれじたいでは楽しめないもの、お金でももらわないとやっていられない「労働」とみなすように、感覚が変わってしまうからです。
しかし人間は、すべてが「労働」になった虚無の状態に耐えられません。だから援助交際というかたちで関係をお金に変えて稼いでも、そのお金をショッピングで浪費してしまったりします。近代社会では、そういうふうに関係をどんどん道具化し、それがさらにシヨッピングや浪費をうながして、すべてをお金に変えていきます。
社会がそうなると、お金がない人は、まったく関係が作れなくなります。それは、たんに現金がないという「貧乏」とは次元の違う、とても近代的な「貧困」という状態、いっさいの「つながり」が断たれている状態です。こういう状態に、人間は耐えることができません。そうなると死にたくなりますが、これも広い意味ではデュルケームのいう「自己本位的自殺」と言えるかもしれません。
(pp.226-227)
下手な社会学の概説書を読むより、この一冊、であろう。
目次
第1章 日本社会はいまどこにいるのか
第2章 社会運動の変遷
第3章 戦後日本の社会運動
第4章 民主主義とは
第5章 近代自由民主主義とその限界
第6章 異なるあり方への思索
第7章 社会を変えるには