ふと気づいたのは
言葉とか思いとか
差し伸べられたたくさんのものを
気づかないで
気づかないふりをして
受け取っていなかったこと。
でも
目を閉じれば
受け取っていないと思っていたこと以上に
本当はもっとたくさんのものを
贈られていることに気づかされる
そしてその贈り物によって生かされていることにも
食べ物だとか
服だとか
場所だとか
仕事だとか
仲間だとか
縁だとか
空気だとか
送り主は全く知らなくても
その贈り物がなかったら
ここに存在すらしていないはず
もっとよく考えれば
僕ら自身がきっと誰かへの贈り物なんだよね
だって自分の笑顔すら自分のためでもないんだ
鏡でもなければ自分で見ることはできないし
僕らの言葉や表情や
考えや行いや作り上げたものすべては
他の存在があってこそ意味を持つ
はじめに受け取ることはできない
だってもうすでに受け取っているのだから
受け取ったものを与えることでこそ
本当に受け取ることができる
どんな贈り物であるのか
あろうとするのか
この先はちょっと考えながら
また歩いて行こうと思う。
.
言葉とか思いとか
差し伸べられたたくさんのものを
気づかないで
気づかないふりをして
受け取っていなかったこと。
でも
目を閉じれば
受け取っていないと思っていたこと以上に
本当はもっとたくさんのものを
贈られていることに気づかされる
そしてその贈り物によって生かされていることにも
食べ物だとか
服だとか
場所だとか
仕事だとか
仲間だとか
縁だとか
空気だとか
送り主は全く知らなくても
その贈り物がなかったら
ここに存在すらしていないはず
もっとよく考えれば
僕ら自身がきっと誰かへの贈り物なんだよね
だって自分の笑顔すら自分のためでもないんだ
鏡でもなければ自分で見ることはできないし
僕らの言葉や表情や
考えや行いや作り上げたものすべては
他の存在があってこそ意味を持つ
はじめに受け取ることはできない
だってもうすでに受け取っているのだから
受け取ったものを与えることでこそ
本当に受け取ることができる
どんな贈り物であるのか
あろうとするのか
この先はちょっと考えながら
また歩いて行こうと思う。
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