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年老いて鏡を失くし顔もいらなくなり
自分の名さえ忘れる時が来たとしても
それだけを思い出すにちがいない
あのやわらかな感触の芝草山は
姿のやさしい母のようだから
抱かれるような思いで目に浮べるだろう。
しかもあの山はふところ深く火をかかえ
ふんわりした肌の下の肉体を
頑固に岩石でかためている
八方を脾睨する目を持っている。
それなのに
さりげなく七色の虹を遊ばせる山なのだ。
霊妙不可思議なあの山の虹を見ると
大宇宙に溶けこんでしまった魂までも
魅せられて寄って来るのかと思う。
沢木隆子 詩誌「ハンイ」より
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さりげなく七色の虹を遊ばせる山・・の表現には、あこがれてしまいますね。
沢木四方吉さん(沢木隆子さんは姪にあたるようです)は、早逝されましたが、特に西洋美術史において貢献された業績は大きいようです。「美こそ神であり、神の姿を学問という理知の眼で哲学的に捉えよう」と情熱をかけて「真実の美」を学問の対象として追求した彼において、ミロのビーナスは、美しかった自分の母親と重ねて観ていたようで思い入れもまた強かったのかもしれません。
沢木隆子さんの詩は次の「杉」のようにストレートに響くものが多く、好きな詩人の一人です。
杉
澤木隆子
驚かず
怒らず
悔やまず
風吹けば風を受け
雪降れば雪をいだき
陽かがやけば光る
直ぐなる性よ
忘れられて卑下せず
久しき年輪を重ねて誇らず
しっかりと大地を抱く大いなる愛
斯くあらばやと仰ぐ
ふるさとの杉
この記事の詩の主題は「寒風山」です。この山は全山が芝生に覆われている珍しい山で見晴らしも良い山ですが、僕は時に遙拝する山でもあります。
杉のポエムも言葉するどく胸に入ってきました。
欺くあらばやと仰ぐ・・どんな意味なのでしょう?
色々な作品を勉強したくなります。
沢木四方吉さんゆかりの大龍寺は、美人の寺としても有名。現ご住職の奥さまがアメリカ人で更に注目されているお寺でした。わが故郷、秋田。目標を作って、一つ一つ訪ねる夢が生まれるのは心地よく、秋田ファンのお友達に広げたいです。
「斯くあらばやと仰ぐ」は「こうありたいと見上げる」という意味だと思います。
文法は全く不得意なのですが、調べるに
斯(か)く=このように、こう
あらばや=あれば(助動詞の未然形につく接続助詞「ば」)+や(係助詞または間投詞(interjection)「や」が、一語化したもの)で、「ばや」は平安時代に成立した語。終助詞。
意味は
①話し手自身の希望を表す。…したいものだ。
②ある状態の実現を希望する意を表す。…であってほしい。
③(多く「あらばや」の形で用いられて)強い否定の意を表す。…どころか、全く…ない。
ということが分かりました。
このうち、①の用法だと考えます。
日本語は古文も現代文も助詞が難しいですね。
ローカルな話になりますが、大龍寺は美女の寺とも言われていますね。ご夫妻揃っていろいろとご活躍されているようです。楽水亭には一度行ったことがあります。
秋田にはそれなりの遺産もあるのですが、それを活かすのが少々下手な風土があると感じています。単一のイベントや観光の機会としてではなく、価値あるものとして発信していくのが理想ですね。