粗茶淡飯

中国・台湾・日本のお茶に関する色々。執筆者・徳田志保。

転機

2016-09-23 19:55:45 | 現地の人・事(中国茶・台湾茶)

私が中国茶の産地を周り始めたのが2000年頃。当時は何もわからないので、とりあえず行けるところはあちこち行っていました。



そのやり方を変えるきっかけになった出会いが2003年。福建省福鼎市の、ある工場にいた女性工場長との出会いでした。

工場ではとにかく厳しく、時には怒号も飛ぶため、若い工員から「男人婆(男みたいなおばさん)」と呼ばれていた彼女に私は興味津々。2日間、ジャスミン茶の加工をしながら、ずっと彼女の傍にいて色々話を聞きました。

彼女は若い頃、お祖父さんの勧めもあって紅茶工場に就職したそうです。当初は事務職だったそうですが、突然工場勤務に…工場は男性ばかりだったし、最初はただ単純作業の連続のように思えて、つまらなかったのだとか。そんな時、熟練工から

「良いかい、単純作業に見えても、ちゃんと道理があってやっていることなんだ。そこを自分で見つけて仕事をしなさい。」

と言われたそうです。そしてそれがちょっとわかってきて、少し面白くなってきた時に、また緑茶の加工部へ異動させられます。彼女は正直嬉しくなく、当初は勤務態度もあまり良くなかったそうです。その時に今度はまた別の熟練工から

「お茶作りの原理原則は同じなんだよ。君が前にやっていた紅茶も、ここの緑茶も共通点がいっぱいあるよ。まぁ見てごらん。」

と言われたのだとか。そこが彼女の茶工場人生のスタートだったと、懐かしそうに話してくれました。

当時、中国の友人達は私に今流行りの「茶旅」のような内容の本を書くよう勧めてきましたが、私はその方面に全く興味がなく、今後のこともあまり深く考えていませんでした。しかし彼女との出会いが、この当時までのお茶に対して広く浅く…路線だった私を、的を絞って深く…に変えて動かし始めたのだと思います。

そして、実際その3年後に舵をきることになります。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。