愛鼬たちと飼い主との回顧録!

総勢10フェレ天使たちと飼い主とが過ごした日々の回顧録です。

☆ポン太家最後の天使 メイJ


メイJ
ファーム:アメリカン(♀)七女
2019年12月5日永眠 7歳1か月
  地元のペットショップで一年以上も売れ残っていた女の子
病気の銀次郎を喜ばそうとお迎えした子でしたが
銀次郎も早々に旅立ってしまってからはずっとひとりだったメイJ!
悪戯で強烈な噛み癖があり正直私にはあまり懐かなかった。
でも病状が悪くなるに連れ私の膝でおとなしく寝る様になったのに
最期はひとりぼっちで苦しんで逝ってしまったメイJ
ごめんよ!本当にごめんよメイJ

母の命日です!

2015年04月08日 | 家族


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4月8日(水) 雨後曇り 夜勤明け


  今日は母の命日ですがスマホに登録してたアラームで
気づかされました
。情けない・・・
母が亡くなったのは私が最初に転勤した吉田町の職場で
仕事をしていた頃でした。


  私は4人兄弟の末っ子でしたし母には一番心配を
かけた親不孝者だったと思います。
私がした一番の親不孝は家庭を持たなかった事!
多分それが母には一番の心配事だったと思います。


  生前母からはよく手紙や電話が来ましたが、
ちょうど私がギランバレー症候群から社会復帰した後
航空会社を黙って辞めてしまい求職活動していた頃に
郷里で母はバスに轢かれ生死の境を彷徨いました。


  奇跡的に助かりはしましたが、今でも母の事故は
自分のせいだったのではと思っています。
折角良い会社に勤めていたのに辞めてしまったから。


  振り返ってみると23歳で初めて社会人になって
羽田空港勤務、成田空港勤務を経て13年間が
最も安定していた時期でした。
あそこが私にとっての人生の分岐点だったのかなと
しみじみ思います。


   そして今私が置かれている状況は年金受給開始の
3年前に嘱託社員契約を打ち切られると言う現実!
残された時間はあまりありません。
何とか生きる術を見つけ出さねばです。


  仕事から帰って来て銀次郎のお仏壇にウォルサム
母と次兄の遺影の前には、生前母が好きだった焼酎を
お供えしました。

【ポン太族回想】

  左が初代お局ポンちゃん、右がジャスミン、中央がマロン
ポンちゃんはフェレたちの母親的存在であり私にとっては妻
のような最も愛しい存在でした。