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1月21日(水) 晴れ 夜勤明け
私が中学2年生の頃だっただろうか。
父は郷里の大学病院に入院していた。
父は明治生まれで厳しい人だった。
私にとって父は怖いだけの存在だった。
だから父が他界して以降も父が夢に出てくると
目覚めた時は汗をいっぱい掻いていた。
ただただ怖かっただけの印象しか無い父を
思い出すことが随分長い間苦痛でしかなかった。
でも私自身歳を重ねて行くうちに少しずつだけど
冷静に父との過去を振り返る事が出来るようになった。
私が父に恐怖心を抱いたのは何故?
父から褒められた事が無かったからだろうと思う。
正直父の当時の私に対する愛情表現を未だ理解
する事が出来ない。
兄たちは父と酒を飲む機会があったけれど
私にはそんな機会は訪れなかった。
私は未だに父の高い壁を乗り越えられなかった
そんな思いに苛まれている。
まだ健在だけど子供の如く好き放題言ってます。今の希望は私が離婚して24時間自分の介護とペットの世話をしてくれる事だそう!
被爆者で、小学校の頃から私が家の家事いっさいさせられてその間愛人こさえて出て行ったり別れては戻って来たり…。バンドマスターの父と離婚してからは特に母は自由奔放で…。
時々、母がもしも亡くなった時、私は泣けるだろうかって自問自答するときが有ります。
そして、昨日もやっぱり母に振り回されながら、義父母の法事が終わりました(;-_-) =3 フゥ
私は最も嫌いだった父の潔癖症な部分を知らずに引き継いでしまい、中年ぐらいまでその潔癖症が人間関係に軋轢を齎してしまって苦労しました。
でも結局はそれは自分が悪いんだと思うようになり、35歳の時に大病を患って周囲に随分と迷惑をかけてしまってからですが少しずつ丸くなって行きました。
流石に今では職場での不条理にも正義感を全面に出して対抗する事も無くなり、どうすればもっと良くなるだろうかと考えて行動するようになりました。
これには今まで一緒に暮らして来た愛フェレたちの影響もかなりありますね。
彼らは何の不満も言わないし自由奔放に生きているし、病気で老い先短い状況下であっても懸命に生きようとする。
彼等から生きる事の大変さを教えられて来ました。