尖閣・竹島問題をめぐるわが国と中国・韓国との間の緊張は、この8月、9月の危機的な状況を脱したかにみえている。一時は、連日、新聞紙上におどっていた尖閣・竹島の文字もめっきり減った。もっとも、先週、また中……[記事詳細]
氏は最後を「局地戦は生じえる状況ではある。とすれば、もはや世界から戦争はなくなり平和な時代になった、という前提で書かれた戦後憲法の前文はもはや意味をなさない ことになるであろう。平和憲法に象徴される日本の「戦後」というものが、いかに特異な時代であったかをわれわれは改めて理解しなければならないのだ。(さ えき けいし)」で結んでいる。
僕は思う、誤解を招くのを承知で言おう・・・・
戦争とは果たして”悪”なるものだろうか、決してそうは思わない。
それは正義と正義のぶつかり合いであり、勝った方がその時代の正義になるのではないだろうか。
ただその正義は普遍なる正義、エル・カンターレの正義とは違うものもある。
しかしながらそれでも良しとされ、歴史として残されていく。
戦いの歴史も人類の永遠に進歩、向上の道程であり、仏神の大いなる愛、慈悲の光の中で
存在が許されているということではないでしょうか。
故に現状の問題から何も学ばない、一歩前に踏み出さないということがどれだけ時代精神に
”背を向けている”、”アク”なる行為であるかということを知るべきであります。
明治維新の志士たちの勇気の光は現代の日本人の”やるべきこと”を照らしている。
幸福実現党には維新の志士たちの勇気の光が過去と未来から降り注いでいることを伝えたい。 かめぱぱ