「察して欲しい」って
今日の写真はオマゴ3号の作った
日本人独特の感情だと思う。
「言わないけどやってるの。
あなたのために頑張ってるの。」
「気づいて欲しい」
「認めて欲しい」
「褒めて欲しい」
いえ、せめて、
「ありがとう、と言って欲しい」
「欲しい」がいっぱいあるくせに、
それを飲み込んで「察して欲しい」と
極めつけの「欲しい」を
喉に詰まらせている。
夫がよく言っていた。
「言わなきゃわかんないよ」と。
そりゃそうだよなぁ〜
こっちは察してもらってるつもりで、
自己完結していたりするんだけど、
相手には意外と伝わってなくて、
全然違う解釈してたりする。
私はそれでも、相手にストレートに
言うのがためらわれ、
自分で動いちゃった方がマシ、と
1人で片付けて、そこでお得意の
「察して」と思っちゃったりする。
いろいろ経験した結果。
私の場合の「察して」は、
「相手がもし察することができなかったとしても、1人で飲み込んで完結できる事」に
関しては、察して、と思うことにしている。
もっと自分から訴えたら良いような
ものなのだが、
生まれつき日本人なので、
やっぱり何だか「察して」が
体に染み込んでいるのだ。
東京オリンピックで有名になった
「お、も、て、な、し」だって
一般的に日本で奨励されている
「きづかい」だって
「察して」動くから美徳となる。
美しいけど煩わしい。
それが「察する」ということ。
今日の写真はオマゴ3号の作った
「ぱとかあ」
⬆️ちゃんと書いてあるところが
なかなかグー⭐️