徒然なるままに

日々のことを綴ります。

【天安門事件とテレサ・テン】

2024-03-09 12:00:00 | 政治
【天安門事件とテレサ・テン】

1989年5月27日、香港のハッピー・バレーで開かれた「民主の歌声を中華に捧げよう」という集会に、メークなしの「民主万歳」と書かれたはちまき姿で登場したテレサ・テンは「私の家は山の向こう」という歌を歌った。爆発寸前の深い感情を抑えつつ、美しい情感をこめて歌い上げた歴史的なシーンである。いまでもその映像がYouTubeで見られるので、ぜひ見て欲しい。

テレサ・テンに詳しい作家の平野久美子さんの講演を最近聞いたのだが、テレサ・テンはもともと香港の集会に参加する予定はなかったが、テレビを見ているうちにいても立ってもいられず、スタンレー(赤柱)の自宅から、ほとんど衝動的にステージに駆けつけたという。

このときのテレサ・テンの行動に対して、当然、中国政府は大陸進出を認めなくなり、テレサ・テンも民主化までは中国で歌わないと誓った。それでも、このときの大きな衝撃によって、テレサ・テンは戦車が迫ってくる悪夢を見るようになるなど精神的に追いつめられ、中国という土地から逃げるようにパリに渡り、14歳年下のフランス人のボーイフレンドとの生活を楽しんだが、やがて体調を崩して、42歳の若さで他界するのである。
(ハフポストの記事より引用)




【天安門事件】
1989年6月4日(日曜日)に中華人民共和国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が実力行使し、多数の死傷者を出した事件。
(Wikipediaより引用)

「昼は鄧小平の天下だが、夜は鄧麗君
(テレサ・テン)の世界だ」

と言われるほど大陸でも人気のあった彼女。大陸の民衆の前で歌う夢を絶たれた無念はいかばかりだったろう。

何という人生か…😭
天安門事件とテレサ・テン

天安門事件とテレサ・テン

天安門事件によって、どれだけ多くの人の運命が変わったのか想像がつかないが、テレサ・テンもまた、その劇的な時代の渦に自ら飛び込み、結果的に人生が翻弄された1人である。

ハフポスト




最新の画像もっと見る

コメントを投稿