以前、茶道を習っていたことがあって、それはもうずいぶん前のこと。
まずは高校時代、生物部と茶道部を掛け持ちしていたのと、
23歳からの2~3年、近所のお師匠さんの家へ、週一回だったか通っていた。
高校時代は、お菓子につられて入部したのだけれど、
20代半ばは、母に無理やり習わされていた、といっても過言ではない。
西洋に心惹かれていた自分は、日本の伝統的なものなど、実際は関心がなかった。
今でも、そんなに関心があるわけではないけれど、
年明けから、美味しい和菓子を買ってきて、「裏千家ごっこ」を楽しんでいる。
以前、京都で買った、黒い抹茶茶碗に、あの美しいグリーン色を投入。
多少の緊張感と共に、一気にお湯を注ぎ、茶筅で素早く混ぜる。
まずは、夫に差出し、味わってもらいつつ、自分のを点てる。
「あぁ、昔ほど、泡がなかなか細かくならない~」とか思いながら。笑
実家の母にそのことを話すと、
「日々の平凡さも、工夫次第だね」と言われる。
今年になって、エイブラハムの教えを学びつつあるのだけれど、
それも手伝ってか、日常を楽しくすることを意識するようになった気がする。
年齢とともに、いろんなことに慣れて、わかった風になってしまう。
特に、日常のことは無意識でも行えるし、退屈になりがちだ。
大した感動もなく、オートマチックにコトが運ばれていく。
その結果、なんだかヴィヴィットに生きてる感じがしない。
「どこであれ、あなたが今いる場所で満たされることが私たちの強い願いです」
とエイブラハムも言ってる。
どんな状況の中にいても、今この瞬間をいい気分で過ごすパワーを語っている。
それがどうやら、基本のようだ。
そして、人生の三大原則は
「自由・成長・喜び」だとも言う。
日常の中でどんなことが喜びの引き金になるか、
もう一度、改めて自覚してみることは必要なことだな、と感じる。
とにかく、幸福感を毎日の習慣にしたいなと願う。
ほんのわずかでいい。些細なことでいい。
心地よいと思うことをしたり、変化をつけたり、新しいことを試したり。
昼寝、ボーっとする、チョコレートを食べる、など
創意のいらない単純な楽しみさえ過少評価せず、罪悪感なしに、うんと楽しもう。
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