東日本大震災ではサプライチェーンの寸断が話題になったが、原発周辺では生産拠点の
移転が必要といった、企業の立地戦略の変更を意味するケースも散見される。
今後 原発周辺地域、沿海部などへの企業誘致は困難になったことは 間違いないようだ。
原発至近距離企業の事例
3キロと福島第一原発にもっとも近かったのは福島県双葉郡大熊の工業団地に工場を構える富山薬品。
この工場は立ち入りはできず、生産再開は相当期間むつかしいと思われる。なお大熊工場での操業開始は
1985年。原発から至近の距離に工業団地があり、そこの企業が被災したことをどう考えればいいのだろうか。
原子力発電所近くの工業団地というのは、原発における大きな事故を想定していないわけだが、そこに
立地するかどうかは企業のリスク判断になる。原子力発電所は危険な施設という
前提であれば、この選択は誤っていたのかもしれない。
電解液では三菱化学や宇部興産とならぶ大手だが非上場。顧客は他社に流れているとされる。
2011年3月28日付けの同社広報では、埼玉県にある同社の生産技術センターで代替生産を行うとしているが
同社の再建がどうなるか注目したい。
原発10キロ圏企業の事例
東日本大震災では、はっきりしたことは原子力発電所の近くに工場を立地させることの危険性である。
原発から3キロの富山薬品は極端な例だが避難対象地域にある日本ブレーキ工業の
浪江日本ブレーキ工業(福島県浪江町 福島第一原発から11キロ)でも、
操業再開のめどが立たない。親会社の日立化成では、
他社に生産委託するとともに茨城県筑西市にある下館事業所に生産拠点を移すことになった。
おなじ状況は藤倉ゴム工業の小高工場(福島県南相馬市 福島第一原発から11キロ)にもある。しかもこの
工場は2011年に建設したてのもの。10キロ離れているので原発に至近距離にわざわざ立地させたとまでは
言えないが、原発災害を想定しなかったかは疑問が残る。新設はセントラル自動車新本社工場(2011年に稼働)と連携
した動きといえそうだ。
震災後、操業を停止したが、デンソーとの話合いがまとまり、4月28日の両社の発表によれば、藤倉ゴム工業は、
デンソーが福島県田村に建設した工場を、借り受けて生産を再開することになった。これは藤倉ゴムの製品について他社では
代替生産がむつかしいとして、トヨタがデンソーとの関係をアレンジしたと伝えられる。
このように原発に近い距離に位置していた企業はあいついで、その拠点の放棄、拠点の移動を迫られている。
東北圏移転の持続可能性
では東北圏全体ではどうか。実は震災直前には、東北圏は企業の進出先として期待されていた。
その象徴といえるのが、トヨタ系のセントラル自動車の本社工場移転である。
2011年1月6日生産開始 宮城県大衡村
神奈川県相模原の本社工場を移転 輸出用のヤリスセダン(日本名ベルタ)
同工場の生産能力は年産12万台。なお2月16日に本格生産開始。
震災前には4月にカローラアクシオの生産開始して宮城に全面移転の方針だった。
震災による変更は、拠点の変更は伴わず最小限だった。震災により本社工場の閉鎖は3月末から4月末に変更された。
しかし大衡工場でのカローラ生産は5月10日に開始。1ケ月遅れであるが予定通り本社工場の移転が行われた。
河北新報 2011年5月10日
なおこの工場を作るに際して、1993年に先行して東北に進出していた関東自動車工業
岩手工場(岩手県金ケ崎工場)との相乗効果への期待が語られていた。藤倉ゴム工業の小高進出も
東北に自動車工業を集積させるこうしたトヨタの戦略に沿ったものだったであろう。
操業の速やかな再開からみてこの方針は堅持されている。東北を小型車生産の基地として拠点化するこの構想は、大きく
とらえれば国内生産拠点分散によるリスク分散効果もある。東日本大震災はその出鼻をくじいたことは確かだが、その戦略と
しての正しさや、持続可能性の検証はこれからである。
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