Entrance for Studies in Finance

経営学講義 心理学から経営学へ 上編

経営学講義 心理学から経営学へ

福光 寛©2008


1)はじめに 乗り越えるべきフロイト
 この講義を性の話から始めるのは唐突に見えるだろう。しかし実は心理学が、人間の科学として成立することと、経営学が科学として成立することとには意外に密接な関係がある。人間の行動を性という断面で分析して見せたのが、フロイト(1856-1939)でその分析は社会に大きな衝撃を与えた。フロイトの分析には正しい面があるが、すべてを性の断面から切り取る分析に僕らは辟易する。フロイトの解釈はやがて通俗的信念に昇華して僕らを支配している。しかし僕らはフロイトと異なる解釈を探そうとする。
 同じように初期の経営学が直面したのは利益や物欲で人間や企業の行動が決まるという通俗的信念だった。それも正しい面がある。しかしそれだけではない。そこで僕らは通俗的信念とは異なるものを探そうとする。
 問題はどこにあるのか。僕ら人間の行動や認識を、性という断面で分析するフロイトを僕らが嫌っているのではないか。利益や物欲で人間や企業が支配されているという仮説を退けたいと考えているのではないか。
 この2つの問題。フロイトの議論からの解放と、通俗的な物欲に支配された人間観との解放という2つの問題がいかにかさなっているかを以下に述べ、それをこの経営学講義の導入としよう。
 フロイトの議論としてどのようなものがしられているだろうか。たとえば自我を強める息子が父親を殺して母親を独占しようとする心の葛藤を指す「エディプス・コンプレックス」。あるいは女性が男性から犯されたいと同時にその相手を憎み殺したいと感ずる「ユディット・コンプレックス」。よく知られているようにカマキリのメスは交尾後、オスを食べてしまうこと(正確には食べてしまうことがあること)と、このコンプレックスは奇妙に対応する。しかしこれらの解釈もあるかなという思いはあるが、何か見てはいけない論理のようにも思える。
フロイトのエディプス・コンプレックスは女子大生が母親から離れない男の子を「マザコン」と呼ぶのに転用された。でもどうも中身が違うように思える。男の子は母親思いなだけで母親とsexなんて考えてないと思うのだけど。しかしそれを抑圧された意識として議論するとまさにフロイト流解釈になる。この解釈のおかげで日本中に嫁姑問題が広がったのではないだろうか。フロイト流のすべてをsexの潜在願望で説明する心理解釈は、性的欲求のみを本来的な願望ととらえる点で「有害」な解釈なのではないだろうか。私はフロイトを学んだ上で、そこから卒業する必要があると考える。
古い記憶だがMark Lester(1958-)を使ったChild at the Night(1972)という作品では思春期の少年のもっている見てはいけない悪魔性が描写されていた。しかしそうした描写は私たちを陰鬱にさせた。こうしたフロイト流の精神分析、とくに性を前面にした分析は、私たちを混乱させ、様々な醜悪な性文化の容認にもつながった。つまりこういうことではないか。フロイトの指摘は正しいかもしれないが私たちが望んでいる解釈ではない。つまりそこには私たちが進む方向は示されていない。結局フロイトは私たちを混乱させただけではないか。フロイトを学ぶ必要はあるがフロイトにとどまってはいけないのである。
 フロイトの分析の有害さは上野千鶴子(1948-)が自閉症児の原因をマザコンによるものとの言説を1980年代に日本で行ったとき、誰の目にも明らかになった。上野が反発を受けたのは、一つはそれが学問的な検証を欠いた主張に過ぎないものだったからだ。ただもうひとつは学者としての学問の権威で上から下に押しつけたからだ。そしてその解釈を人々はそもそも聞きたくなかった。嫌いだったからである。上野自身の学者としての非科学性(彼女はその後東大教授になる)や子供の自閉症に悩む家族への共感のなさは、驚くべきことである。このような上野を頂点に抱く日本の女性学が、社会の信頼を一挙に失ったのは当然の結果といわなければならない。
 フロイトと似ているけれど、性から離れる点で異なるのはユングである。フロイトは精神科医でその患者の観察からその精神分析学を体系化した。同じように精神科医として患者を診断する中で人間の深層心理の分析を発展させたのがユング(1865-1961)である。
 ユングは人類に共通する集合的無意識が存在すると指摘している。沢山の民族がもつ夢などに共通の要素があるが、ユングはそこに注目した。
フロイトやユングは一時はもてはやされたが、フロイトやユングが人間の心の内面を問題にしたことに対して、批判がでてくる。心の問題というのは、実証科学としては成立しにくいからである。
 このような批判を受けて、人間をとりまく環境への注目が高まった。一つは環境が人間に与える影響という方向であり、今一つはそれと関係するが、環境の変化が人間の行動にどのような影響を与えるかという方向である。
 性の問題について性認識(ジェンダー・アイデンティティ)の環境規定説が出てくるのはこの第一の方向においてである。
 行動における性差というのは環境が作るという考え方である。このような環境規定説は、一時流行した。これは逆にいえば両性を平等に扱えば性差の問題を乗り越えられるという議論になる。
 女性にかかわる様々な問題を性差別という環境に一元化して捉えることにもなる。しかしこれでは現実に存在する性差を否定することにもなりかねない。こうして上野に続いて大沢真理(1953-)のジェンダー・フリー論が批判を浴びた。もともとアメリカでは、性差別の解消という観点からは、性差を認めた上で差別に敏感であること=ジェンダー・センシティブが主張されていたのに、大沢はこれをジェンダーからの解放という意味でのジェンダー・フリー論に置き換えて政府審議会の議論に持ち込んだと批判された。
 実際に二人の主張がそうだったかは別にして、たとえば女性を女性らしく教育したり、女性を教育や仕事の上で区別することは、すべて性差別につながるとジェンダーフリー論は主張したとされた。この主張に対して、たとえば肉体的な性差は現実に存在するのだから、正しい道は、どれが差別でありどれが性差によるものかを冷静に振り分け、差別となるものを解消する地道な努力にあるとの反論が対置されている。性同一性障害の人は性転換を望むという発想をジェンダーフリー論ではどう考えるかと併せて、性差を否定することが個人の幸せとどうつながるかは、なお綿密な検討が必要なのではないか。

2)物質的動機と勤労意欲:心理学から経営学へ
 また第二の方向として、実験を通じて人間を取り巻く環境を変えながら人間の行動がその結果、どう変化するかを調べる実験心理学・行動心理学の台頭がもたらされた。
その主な論者に、工場労働者の作業能率の変化を調べるホーソン実験(Hawthone Investigation 1924-32)を行ったEメイヨー(Elton Mayo1880-1949)とレスリー・バーガー。メイヨーは、労働者は必ずしも個人的に存在して自身の物質的欲求の最大化を目指す存在ではなく職場の非公式集団に大きく影響される存在であること、具体的には、職場の非公式集団の中で良い位置にいたい、あるいは継続的にその集団の中で仕事をしたいという欲求が労働者の作業態度に大きく影響すること、つまり仕事の成果や作業態度に大きな影響を与えていることを見出した。
 これは人間関係を重視した人事管理への出発点となる業績だった。たとえば管理職者が、部下とのコミュニケーションを図ることは部下の勤労意欲を高めるということだ。Mayoはハーバード大学に在籍し、最後はその経営大学院(ビジネススクール)で工業調査担当教授となっている。
 またフレデリック・W・テイラー(Frederick W.Taylor1856-1915)の科学的管理scientific managementが、労働者の怠業や職場の無秩序の一掃のために第1級労働者の作業の有り方を追及したことの対極にある分析であった。テイラーの分析には作業の標準化という合理的な発想はあるが、それは詰めていえば人間としての感情を無視して時間あたりの効率を極限まで高めることを目指している点で、批判を受けて当然といえる側面があった。
 1939年から1943年に行った調査から心理学者のAbraham Maslowは欲求の5段階説を唱えた。それは心理への欲求(飢え、渇き、セックスなど)、安全への欲求、社会性への欲求(愛情、友情)、尊敬への欲求(自己の尊厳、自律、達成感)、自己実現の5段階で、一つの段階が満たされると次の欲求が主たるものになるというもの。この考え方は人は、金銭的利益を超えてなぜ一生懸命働くのかということに、合理的な一つの解釈を与えた点で注目される。
 またDouglas McGregor(1906-1964)はThe Human Side of Enterprise(1960)において、労働者を基本的に怠惰で無秩序を好む(Theory X)ものとしてではなく、適切な環境と動機付けを与えられれば労働者はむしろ仕事を好み、自律的かつ創造的に仕事に取り組む存在(Theory Y)として描き出した。この学説を出したMcGregorは、社会心理学者であるが、1954年から死に至るまではマサチューセッツ工科大学MITの経営学教授を勤め、経営学と社会心理学との間にまさに位置することになった。
このTheory Yが示唆するのは、非管理職者の潜在的な勤労意欲をいかに引き出すかということに、管理職者の役割があると私は考えるのだが、間違っているだろうか。
ここからさらに労働者は、集団で作業することを好み、集団での意思決定に従うという見方もでている(Theory Z)。そして現在では欧米の組織においても、Theory Zがあてはまることがしばしば見出されている。
  *ここで述べられていることは労働者の動機付け(motivation)には実は賞賛や報奨を与えるなどの外在的もの(entrinsic motivation)のほかに内在的なもの 
  (intrinsic motivation)があるというようにも整理できる。前者は金銭的なものではかならずしもなくて、賞賛とか認証もある。他方、後者の観点からは作業の仕方などに労働  者の自律性、自己管理を認めることで、作業効率を改善できるといった視点が生まれる。外在説からは、金銭的報奨という視点もあり、また罰則も有効となる。


McGregorと同様に心理学の研究から経営学に転進した学者にFredrick Herzberg(1923-2000)がいる。彼は心理学者として研究者の道を歩き、最後はユタ大学の経営学の教授を勤めている。Herzbergはニュヨーク市立大学に学んだあと、従軍してナチスのDachau Campを目撃し、そこから後年の研究のアイディアを得たとしている。
 Herzbergの業績は衛生理論hygene theoryと呼ばれる。彼によると、仕事についての不満足は、彼が職場の衛生hygeneと呼ぶ、作業環境、人間関係、給与、会社の政策などに左右されるが、仕事についての満足は、仕事を通じて達成感、責任感が得られたり、評価され、仕事を通じて成長し学習できることに左右される。つまり彼は、心理面での成長の機会が確保されているかに、仕事についての満足が、関わっていることを明らかにしたとされるのである

 言い換えるなら、仕事についての満足感を高め、労働者あるいは勤労者の意欲を高めるには、たとえば賃金といった衛生要因ではなく、仕事を通じて評価されるとか、心理的に成長できるといった側面こそが影響することを、Herzbergは見出したのである。もちろん衛生要因を軽視してよいわけではない。しかし衛生要因の多少と、仕事の満足感とは別物であることを指摘したのである。
 このようなタイプの議論は意欲(motivation)に係る議論といえよう。そこではMaslowの議論がやや修正されて、取り込まれている。すなわち労働者には3つの基本的な欲求があると整理されている。それは、存在への欲求、関係性の欲求、そして成長への欲求の3つである(ERG theory existence relatedness growth)。
 現代にいる私たちは、数量的な生産主義よりは、品質管理quality controlを重視したW・エドワーズ・デミング(1900-1993)の考え方が、品質改善がもたらす費用削減効果という点だけでなく、労働者の内発的な意思を尊重する点からも、企業にとって望ましいことを知っている。デミングは品質の改善により企業は市場で生き残れるとし、品質の改善には労働者と企業とが長期的な雇用関係にあることによる忠誠心が重要であることなどを指摘している(cf.W.Edwards Deming Out of the Crisis 1982)。つまりデミングの考え方は、メイヨーたち心理学者たちの発見や主張につながっている。
 その後の実験心理学の代表的人物には残虐な行為を監督者の指示で行う側の心理を調べるアイヒマン実験(1961)を行ったスタンレー・ミルグラム(1933-1984)。投資者が成功の確率を高く評価し勝ちであることで投資行動が歪むことを明らかにしたプロスペクト理論などを唱えたダニエル・カーネマン(1934-)などがいる(参照 市場原理主義批判について 注目される行動ファイナンス)。
 性差についての環境規定説は近年行き過ぎが反省されている。性差を否定する極端な議論は影を潜め、性差の基礎に生物学的差異が存在することは認められるようになった。もちろん環境も重要だし、個体差もある。性の問題は、生物学的基礎により多く支配される。もちろん環境や個体差は否定できないけれど。このような認識の変化によって、私たちは性の問題について、冷静に議論できるようになった。
参照 人間関係学派の展開については以下を参照Human Relations Approach(Accell)
 経営学講義 下編  
Written by Hiroshi Fukumitsu. You may not copy, reproduce or post without obtaining the prior consent of the author.Appeared in Dec.27, 2008. This is the enlared font edition uploaded in Dec.27, 2014. No part of the original is changed.
経営学 英語教材

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