コダワリの女のひとりごと

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【函館】大森浜にある啄木小公園と『土方・啄木浪漫館』

2019-11-02 | 旅 北海道
函館市にある津軽海峡に面した、函館山から東へのびる海岸が大森浜と呼ばれ住吉漁港から松倉川河口付近までの辺りを指します。
かつては付近一体に砂山が広がり、イカ漁の時期には漁火が美しく、元旦には海上からの日の出が見られる絶景スポットでした。
 

啄木は、故郷・岩手県渋民を旅立ち、青森から青函連絡船で函館入りしたそうです。
新幹線があるわけでもなく、当時は青函連絡船以外は手段はないのですが、函館は、当時東京以北で最も人口の多い近代都市だったそうです。

「北海道でもっとも伝統のある、もっともハイカラな、もっともよく都市機能の整備された都市」
 
その文化的な雰囲気は、石川啄木を魅了したそうで、金銭的な援助者(宮崎郁雨)も得るなど、安定的な人間関係に恵まれたため函館は啄木のいい思い出の場所だったようです。
初めての短歌集「一握の砂」には函館を歌ったものが60種もあるそうです。
 
立待岬から湯の川温泉、松倉川河口付近までを大森浜とよぶようです。
大森浜の付近一帯にかつては砂山が広がっていたとのことで、砂の盛り上がる「大盛り」から由来しているとのこと。
 

大森浜のちょうど中ほど、日乃出町の大森浜に石川啄木像が建つ「啄木小公園」があります。

函館を愛した石川啄木をしのんで、昭和33年に啄木像(彫刻家・本郷新氏製作)が寄贈されたことに始まり、昭和52年に公園区域がさらに拡張・整備されました。函館周辺の石材を使用したり、ハマナス、コマハギクなどを植え込んだりして、郷土色豊かな海浜の風情を盛り込んだ公園。
 
「潮かおる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇(ハマナス)よ 今年も咲けるや」の歌が刻まれ、大森浜の海と砂浜を愛し、好んで散策した啄木の姿をしのぶことができるようになっています。
この辺りに大盛の砂山があったのでしょう。
昔の作家も歌人もダメ男が多く、島崎藤村、太宰治、石川啄木、宮沢賢治なども同じカテゴリーの人だったようです。

 
 
その隣にある「土方・啄木浪漫館」には、「一握の砂」初版本や「悲しき玩具」のフランス装丁版など、貴重な資料が展示もあります。
 
 
石川啄木は岩手県の出身。
岩手日報』にエッセイ他を「閑天地」と題して連載し、が主幹・編集人となり、文芸誌『小天地』を出版。
地方文芸誌として文壇の好評を得るも資金問題で継続出版ができなかったようです。
 
仲間に恵まれ、親子3人水入らずの生活も実現しつつ、恋にも夢中になった啄木の函館の日々は大火で街を去る日までの穏やかで楽しい日々だったようです。
 
 
 
 
妻と母を連れて渋民村に戻り、渋民尋常高等小学校に代用教員として勤務。
徴兵検査で筋骨薄弱にて徴集が免除されたことから小説を書き始めたとのこと。
 

函館の文芸結社・苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)より原稿の依頼があり、函館移り住み、区立弥生尋常小学校の代用教員となったり、函館で暮らしますが、函館大火により勤務先の小学校・新聞社がともに焼失。小樽、釧路と移り住み、東京へ。26歳で肺結核のため死去。
 
 
 
土方歳三の写真や名前も入った自動販売機ですが、売られているものは特に土方とは関係ようです。
 
 
 
「土方・啄木浪漫館」は、函館にゆかりの深い土方歳三と石川啄木に関する施設。
1階にあるのが、土方歳三凾館記念館。

入口には土方歳三が死した「一本木関門」を再現したものがあります。
土方らを乗せ、夢と希望を求めて新天地蝦夷へ向けて航海した「開陽丸]も展示してます。
 

土方歳三凾館記念館
函館市日乃出町25-4  
0138-56-2801
開館時間
9:00~18:00(最終入館17:00)
休館日 12月31日、1月1日
料金 大人800円 
アクセス
「啄木小公園」バス停 下車 徒歩1分
駐車場 無料駐車場あり(15台)

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