木曽路はすべて山の中 南木曽・中山道の宿場の歴史と日本遺産の旅☆DAY1
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久しぶりの木曽は雪が美しく、山々が美しい。
宿場をめぐり伝統工芸を体感し、南木曽の美肌の湯で癒されました。
南木曽温泉に浸かって目覚める南木曽の朝。
山が近くてホテルにいるのに森林浴気分。
2日目行程
9:00 朝の妻籠宿散策
林家住宅
11:00 阿寺渓谷入り口
白山神社
12:30 昼食 木曽牛ステーキ
13:30 須原宿
定勝寺
14:00
赤沢自然休養林 (上松観光協会で資料等)
ホテル木曽路の朝は南木曽温泉の露天風呂からスタート
朝起きて、露天風呂へ直行。
南木曽温泉の美人の湯、アルカリ単純線に入る一日からスタート。
南木曽温泉の露天風呂の湯けむりが幻想的で美しく、雪の中の露天風呂は最高でいつまででも入っていられます。
夏の夜や新緑の深い季節の朝風呂は景色がはっきりしてそれもまた素敵なのでしょう。
ホテル木曽路のバブリーなゴージャスロビーがツボでした。
南木曽のなぎそねこが気に入ってホテルにいる間愛用してました。
朝ごはんはブッフェ。
エッグステーションがあり、シェフの出来立てオムレツをいただきました。
ケチャップを💛にしたのは私ですが、シェフが作るオミレツの朝ごはんって贅沢💛
ブッフェは盛りつけが下手なので写真割愛。(笑)
木曽路ビールのブルワリー見学もしたかった。
ビールコンペテイション金・銀受賞経験ありの自家ビールが木曽路ビール。
山々に磨かれた水 大自然の恵みと匠の技。
水、麦芽100%、手づくり、鮮度にこだわり抜いた自慢のオリジナルビールは賞味期限は約2ヶ月。
常に新鮮作りたてにこだわっているそうです。
工場のコダワリの味はお土産にも買って帰りました♪
ホテル木曽路を中心に木曽路リゾートになっているのですね。
滞在型で楽しめるリゾートホテルを後にして南木曽を観光します。
ホテル木曽路
www.hotelkisoji.jp/
所在地: 〒399-5302 長野県木曽郡南木曽町吾妻2278
※2018年4月1日からリニューアル工事のためしばらく休館となるそうです。
詳細は公式サイトでご確認ください。
街並み保存のパイオニア、妻籠宿(つまごじゅく)散策
朝の宿場町は観光客もまだほとんどないので貸切ロケーションを楽しめました。
宿場の朝は早いので、お土産店などもすでに営業してました。
妻籠宿本陣
江戸と京都を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道ともばれていました。
中山道六十九次の江戸から数えて42番目の宿場となる妻籠宿は、中山道と伊那道が交差する交通の要衝として古くから賑わっていたそうです。
明治になり、鉄道や道路が新たに作られると、宿場としての機能を失った妻籠宿は衰退の一途をたどりはじめました。
昭和になり高度経済成長の中、江戸時代の宿場の姿を色濃く残している町並みが見直され、全国に先駆けて町並保存運動が起こったとのこと。
妻籠の人たちは町並みを守るために家や土地を「売らない・貸さない・壊さない」
という三原則をつくり、ここで生活しながら江戸時代の町並みという貴重な財産を後世に伝えています。
妻籠宿本陣は島崎氏が任命され、明治に至るまで本陣、庄屋を兼ね勤めました。
島崎藤村の母の生家であり、最後の当主は藤村の実兄で、馬籠から伯父の所へ養子にきた広助(ひろすけ)でした。
妻籠宿は映画のロケに使われたことはあるのですか?とお聞きしてみたら妻籠は撮影のロケ等はお断りしているとのこ。私なら平成のラブロマンスをここを舞台にドラマにしてみたいです。
妻籠観光案内所
建物は、明治30年に旧吾妻村警察署として建てられたもので、その後旧吾妻村役場、南木曽町役場吾妻支所として使用されていました。
昭和54年に無料休憩所・観光案内所として修理・整備されたそうです。
長野県のマスコットキャラ「アルクマ」を見ると長野だ!と思うのですが、木曽路を歩いていると長野よりも岐阜に近い空気感なのは距離だけの問題ではない気がしました。
妻籠観光協会 観光案内所妻籠観光協会 観光案内所
長野県木曽郡南木曽町吾妻2159-2
TEL:0264-57-3123
妻籠の郵便局風情があって素敵。と思ったら郵便資料館。
郵便資料館
島崎藤村『夜明け前』にも開局当時の様子が描かれている妻籠郵便局。
現在の建物は、昭和53年度に郵政本省建築部の指導で復元され、同時に局前のポストも、全国で唯一の黒いポストが復元されたそうです。藤村ゆかりの書簡の展示もあります。
・島崎広助 本陣当主(藤村の実兄)
国有林払い下げ嘆願書
・島崎こま子 藤村の姪(藤村小説)
『新生』のモデルが母に宛てた手紙。
寺下の町並み
そこに人が住み、生活しながらつづけられてきた妻籠宿の保存運動。
最初に保存運動が行われた寺下(てらした)地区。
妻籠宿の原点ともいうべき町並みで家並みは素朴で繊細で、昔の旅籠そのままに出梁(だしばり)造りや竪繁格子(たてしげごうし)の家々が並び大正から昭和初期にタイムスリップした空間。江戸時代の面影もあります。
私が栗きんとんを買った澤田屋さんも寺下にありました。
木曽路の旅☆丁兼(澤田屋)の栗きんとんを妻籠宿で買いました。
栗きんとんの記事はこちら
桝形の設置されている辺りが見えています。
桝形がこのお寺の近くにあったので、このお寺から下のエリアが寺下になるのでしょう。
今も住まいとなっている造り酒屋で財をなした脇本陣奥谷の林家
妻籠の本陣は復元ですが、脇本陣は当時のまま保存されていて、今も林家の方が実際に住まわれているエリアもあるそうですが公開されているだけでもかなりの広さの脇本陣奥谷、林家。
南木曽町博物館は妻籠宿本陣と脇本陣奥谷、歴史資料館との三館により構成され、共通券で見学できます。
脇本陣奥谷(わきほんじん おくや)
林家は代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年にそれまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられました。現在は昔の生活道具、皇女和宮よりの拝領品など歴史を語る品々を展示した博物館施設として公開しています。
島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先でもあり、旧家の堂々たる造りを見ることができます。
脇本陣奥谷ではガイドさんがいらして説明していただけます。
明治天皇が立ち寄られた部屋。
明治天皇は30分ほど立ち寄り、立ったままこちらの部屋でお茶を召し上がったそうです。
宿泊予定はもともとなく、休憩のために立ち寄ったそうですが、汗をかかれたときなど、明治天皇のご休憩のためだけに用意された部屋には、使われることのないままのトイレやお風呂もそのまま現存されています。
洋風の生活スタイルなどまだ一般的ではなかった時代、立ったままお茶を召し上がる天皇のために用意された桧のテーブル。今でこそ簡易な木の机のようなものに見えますが、見たたこともない洋式のテーブルを作るというのは当時としてはさぞ大変だったと思います。
テーブルの裏面に明治天皇がご休憩されたという記録がテーブルの裏面に記載されています。
当時のままのガラスが入った雪見障子。
囲炉裏に座ったときの目線で造られているそうです。
この庭の右手を通り明治天皇が入られたそうです。
当時の林家の経済力を垣間見ることができる跡がいくつも残されていました。
林家は造り酒屋で財を成しましたが昭和8年に2年お米が不作で財政が傾き始めたそうです。
暖は囲炉裏で取り、囲炉裏を炊くことで出るススを毎日磨くことで出来上がった漆黒の色合い。
囲炉裏にある枕木のようなものは当主があぐらをかいた足を載せる台なのだそうです。
案内人の方に林家を案内していただいたのですが、その間外にいるくらいの寒さで冷えて寒かったのです。
かつてはそれぞれの部屋の囲炉裏で暖を取ってはいたのでしょうが、それにしても寒く当時の冬の厳しさを思うとさぞ大変だったのではないでしょうか。
林家を設計されたのはお城づくりを専門にしていた宮大工さんらしく、忍者屋敷のように隠し部屋があったり小技のきいたお城のような造りになっていました。
100年越えても頑丈で益々魅力を放つ林家は最盛期の林家の財力が想像できます。
囲炉裏に火を入れることで煙が舞い現れる光の筋。
後光というか「天使のはしご」。そんな厳かな光の帯ができます。
時間によってできる出来上がる光の帯も変化します。
林家住宅は江戸時代の末から明治にかけて建設された建物で、近世の町家建築の様式をふまえています。
江戸時代には厳しい山林の統制があり、ひのきなどの貴重な木材の使用は禁じられていました。
『木一本、首一本』という厳しい統制がありました。
木曽の人々は山のひのきを目の前にしながら、決して使用することができなかったそうです。
明治になり尾張藩の統制が終わり、林家では自分の家の山からひのき、さわらなどそれまで伐ることのできなかった大径木をふんだんに伐り出して住宅の建築用材とし建築したのが現在の「奥谷(おくや)」という屋号の林家住宅です。
江戸時代には大名や公家たちが宿泊した脇本陣だったことから、南木曽町博物館の施設の名称として「脇本陣奥谷」と呼ばれているそうです。
長い歳月をかけて漆黒になり、手をかけることで磨かれた柱や桟や扉。
『木一本、首一本』と規制された時代を経てふんだんに桧を使った建てられた林家は見学必須の建造物です。
0264-57-3322
大人600円 子供300円
(妻籠宿本陣との3館共通券 700円)
営業時間
9:00~17:00(16:45入館制限)
休館日
年末年始(12月29日~1月1日)
大桑村の阿寺ブルー、阿寺渓谷の入り口へ
訪問したのは冬なので入り口までしか行けませんでした。
川の表面が凍っていて気温が上がってきた昼間は氷がポンッ!ポンッ!と割れていました。
エメラルドグリーンの渓谷、ヒノキの美林、切り立った岩が折りなす、自然の造形美が見どころの渓谷。
「阿寺ブルー」と称される美しい景観なのだそうです。
犬帰りの淵・吉報の滝などの名勝が随所にあるそうですが冬なので入り口までしか訪問できませんでした。
上流部では、顔を洗うと色白美人になれるという言い伝えのある「美顔水」が湧き出ているとか。
私は知りませんでしたが、名古屋圏の人には人気で日帰りでよく来られる方も多くインスタでも話題になっているスポットなのだそうです。
所在地
〒399-5504 長野県木曽郡大桑村野尻 阿寺国有林内
交通アクセス
中津川ICから車で45分
伊那ICから車で80分(⇒下車徒歩20分)
R中央本線野尻駅からタクシーで5分(⇒下車徒歩20分)
本殿に上がるための階段は急で上りがキツく冬場は危険なほどの傾斜のため、私は横の散策路みたいになっている道から
本殿に上がるための階段は急で上りがキツく冬場は危険なほどの傾斜のため、私は横の散策路みたいになっている道から本殿まで上がりました。
本殿に上がるための階段は急で上りがキツく冬場は危険なほどの傾斜のため、私は横の散策路みたいになっている道から本殿まで上がりました。
元弘4年(1334年)に建立され山岳信仰が篤かったようで4つの山岳の名前の社が並びます。
見学はあらかじめ電話で予約してください。
白山神社
JR大桑駅から徒歩 約15分
中央自動車道中津川インターから
伊那インターから約45分
住所
長野県木曽郡大桑村殿
TEL:0264-55-4566
鎌倉時代からの美しい奉納のための絵画のような絵馬の数々が見事でした。
木曽牛のステーキと信州サーモン丼をランチに
ブランド牛、木曽牛のステーキと信州サーモンをランチでいただきました。
★信州サーモン丼 1,180円
川魚は苦手だけれど、信州サーモンは好き。
ニジマスとブラウントラウトを交配させた、信州独自の新品種の魚。
サーモンのような紅色の美しい身が特徴でニジマスに比べて肉のきめが細かく肉厚。
★木曽牛ステーキ 100g 3,050円
「木曽牛」
木曽郡内に住所を有する者及び木曽郡内に飼育施設を有する法人が、木曽郡内 で飼育した黒毛和種の去勢及び雌牛が定義。
お肉好きですが、このボリュームは多いですね。
希少な木曽牛がお手頃価格で食べられる、道の駅にある人気のお店です。
グルメリアきらく
0264-55-3741
長野県木曽郡大桑村大字野尻160-27
大桑駅から1,095m
営業時間
[月~金]
11:30~14:30
17:00~20:00
[土・日・祝]11:30~20:00
定休日 木曜日
須原宿は火災に遭っているため現在は昔の宿場の面影はありません。
定勝寺の山門は庫裏を含めて国の重要文化財にも指定されています。
山門は梅雨の若葉にも秋の紅葉にも映えるインスタ映えスポットでもあり古刹名刹。
須原宿にある国指定の重要文化財の定勝寺は、木曽路の中でも最古刹です。
嘉慶年間に木曽家十一代の源親豊が木曽川畔に創建しました。
その後、洪水により3回流失し慶長3年に現在の場所に移建されたそうです。
この定勝寺には戦国時代木曽谷を支配した戦国大名「木曽義昌」の位牌が安置されているほか
東洋一の「木曽ヒノキダルマ座像」も見ものです。
本堂の前の廊下が鶯張りになっていて歩くとキュッキュツと二条城みたいでした。
定勝寺
須原駅から徒歩 10分
拝 観: 8:30~17:00(冬季は16:00頃、時間は応相談可)
拝観料: 大人 300円、子供 100円
※案内希望の場合は事前にご連絡してください。
0264-55-3031
赤沢自然休養林は、日本三大美林の一つで森林浴の第一号
木曽地域は古くから良質なヒノキを産出することで知られ,平安時代の面や仏像に始まり、神社仏閣の建築材、武士の時代には築城の建築材として重宝されます。
尾張藩は木曽に材木役所を置き、直轄地として厳しい森林保護政策を敷き、地元の住民が木を伐採することはおろか、入林すらも禁じ、、その禁を破ったものは「木1本、首一つ」と呼ばれる処分を受けました。
代表的な針葉樹を木曽五木(きそごぼく)と称し、ヒノキ、サワラ、ネズコ、アスナロ、コウヤマキなどになります。
大人のための、何もない、贅沢な時間をご提供
0264‐52‐2245(ねざめホテル内)
開園期間中 無料開館
開園期間中、無料開館
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