今年5月23日石垣から落ちて骨折し1月ほどギブス固定
その為歩けなくなり病院を転々と
コロナ禍の為に面会もあまり出来ず
看護師さんの計らいで11月5日
リハビリ室で面会させてもらえた
最後までしっかりしていた母
遠いからもう度々来なくてもいいよと言ってくれ
別れ際に写した最後の写真です
その後次の病院へと移り
1週間位たった12月1日早朝弟より
20分前位に母が亡くなったと電話が来た
誰にも看取られる事なく逝ってしまいました
その日の夜お通夜
翌2日 コロナ禍で家族葬
出棺前 子供3人で棺に花束を供える
その後霊柩車へと
出発前、最後の挨拶を兄が
火葬が終わってやっと自宅へ戻れたが
母が入院している間に旧家が取り壊され
近代的な新しい家へと建て替えられている
母の部屋もちゃんと作ってあったらしいが
1度も入ることなく
やっとお骨になって帰れた真新しい仏間
母は私は今までの家が良いと言っていたので
多分落ち着かないでいると思う
大正9年8月10日生まれ
大正、昭和、平成、令和と頑張り生きて来ました
享年101歳でした
お母さま 逝ってしまわれたのですか。
このコロナ禍の時 面会もままならず。
先月 面会させていただいて 良かったですね。
お母さま とてもうれしかったでしょう。
101歳の最後まで しっかりなさっていて
尊敬いたします。
fufuさん思いで、とてもしっかりなさってらっしゃったお母様、
すごくて立派なお方だと思いますです。
残念でなりませんです。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
もしや⁈ と思ってました。
驚きと落胆で包まれた事でしょう❢
ご愁傷様でした。
今でも時折、母の面影を求めます。当初は「あれもしてあげればよかった」とか「あんなこと言ってわるかった」など
思ったんですよ。
今は感謝しかないです。
ブログをしばらくお休みと聞いたとき、母上様のことかと案じていました。
コロナ渦で色々大変だったことでしょう。
11月にはお元気なお母様に面会されてたのに、、お寂しいでしょうね。
どうぞお疲れ出ませんように。
お母様のご冥福お祈り致します。
この前の記事ではものすごくお元気そうだったのに
逝く者はかくのごときかな、昼夜をおかず
という句が思い出されました。ご兄弟そろってお見送りできたのが慰めかと思います。
今はもうあちらの岸でのんびり休んでいらっしゃるでしょうか
101才、長い、でもしっかりした人生であられたことと拝察致します。
皆々様方にお悔やみ申し上げます。
ご愁傷様です。お母様のご冥福をお祈りいたします。
コロナ禍で自由に会えないのって
本当に哀しすぎますね。
お疲れの出ませんように、御自愛下さい。